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若者のチャレンジを応援する講座で感じた「泥臭いリアル」

先日、地元の若者によるチャレンジを応援する講座に行ってきました。聴講者としてですが行ってよかったです。この講座、そして講師の方が放つ言葉は、きれいごととは真逆の、泥臭くてリアルなエネルギーに満ちていました。

講師の人となりに引き込まれる

 この講座は複数回にわけ、講師がかわるがわる登壇するのですが、今回は福井でショッピングモールを運営する会社の役員でした。私はこのかたのうわさをかねがねお聞きしていて興味はあったのですが、お会いするチャンスもなかったところ、今回の聴講が実現したわけです。

 彼は、一途な感じの方で、長年「福井の人が福井を自慢できる街をつくる」という思いで走り続けてきたそうです。地元の若い人たちの間でも「熱い人」と評判で、実際にお話を聞いてみたら、確かに人を引き付ける何かがありました。情熱とかそういう熱量ですね。「地元のことをどうにかしたい」という強い気持ちとともに、成功体験だけでなく、失敗も苦労も、実は数えきれないほどあったと話されていました。

「やりたいことだけやってきたわけじゃない」。講師がこの言葉を口にした瞬間、「そうだよな」と妙に納得しました。人間50年以上生きて入れば、まして、同じ会社でずっと仕事をしていればいろいろありますよね・・・。親の反対を押し切って進学した高校、甲子園を目指した部活、地元の会社に飛び込んでからの挑戦。話を聞いていると、「夢を叶えた人」や「成功者」と見えるかもしれませんが、本人曰く、失敗だらけ。それでも、泥臭く進み続ける姿に、心を動かされました。


別の研修で知った「ナッジ」との結びつき

ここでふと思い出したのが、以前別の研修で知った「ナッジ」という考え方です。

「ナッジ」とは、そっと背中を押す人、という意味だそうで、その時も妙に印象に残った言葉でした。今回の講座の内容と直接関係があったわけではないのですが、私の頭の中では講師の話を聞いているうちに「ナッジ」という考え方が自然と重なりました。この研修に関しては概要のみの講義でしたが、機会があれば、いや、作ってでも、きちんと学びたいと思っています。

泥臭くても進む勇気

 私自身も、社会教育に携わっていますが、決して平たんな道ではなく、ときには「出る杭は打たれる」状態になることが多々あります。でも最近は、「だったらいっそ出過ぎた杭になってやる!」と思っています。出過ぎた杭は打たれないという言葉、妙に気に入っているんです。もちろん簡単ではないけれど、泥臭くても進み続けるしかない。講師が語った「やりたいことのために、やりたくないこともやる」という言葉が、今の自分にすごく響きました。ただし、自己満足は禁止。だれかのためになっているのかはちゃんと踏まえたいです。


若者を応援する「ナッジ」の存在になりたい

地元の若者たちが「福井って面白いよね」って胸を張れる街になるように、自分も「ナッジ」みたいな存在を目指したいと思います。でも現状では、まだそこにたどり着けていない。正直、自分のことで手一杯な日もあります。それでも、少しずつでも進むことをあきらめないでいたい。泥臭くても、進む先に何かが見えてくると信じています。


今回の講座を通して、改めて思ったのは、応援する側も挑戦し続ける必要があるということ。口先だけでなく、泥臭いリアルを持っているからこそ、相手の心に届く応援ができる。これからも挑戦を続けて、地元の若者たちが「福井って最高!」って笑顔で言える未来を一緒につくっていきたいです。

案内人りく