子ども食堂という言葉を聞くと、まだまだ「貧困対策」というイメージを抱く人が多いのではないでしょうか。実際、その歴史をたどると、子ども食堂が誕生した背景には、貧困や孤食の問題が大きく関わっています。日本で最初に子ども食堂が開かれたのは2012年頃。地域の中で孤立する子どもたちを食事で支える活動としてスタートしました。しかし、時代が進むにつれて、その役割や目的は少しずつ変わり始めています。
私の住む地域でも、子ども食堂の取り組みを見る機会が増えてきました。まだまだ取り組みは数か月に一回のようですが、たとえば、共働き家庭が多いこの地域では、、家族そろって食堂に足を運んでくる光景や、逆に自転車で一人でやってくる子どもをみていると、これまでとは違う人流を感じずにはいられません。普段、なかなか一緒に料理を楽しむ時間もないほど忙しい家庭にとって、ここは「おいしい食事ができる場所」であると同時に、「家族でゆっくり過ごせる場」でもあるようです。一人できた子にとっては、温かい食事の提供であることはまちがいなく、貧困であろうがなかろうが、他者とのかかわり、会話が生まれているのは事実です。
そんな様子を見ていると、子ども食堂が提供しているものは、単に食事だけではないと感じます。もちろん、食べ物に困っている家庭への支援という目的は今も大切です。しかし、それだけではありません。人と人が自然と顔を合わせ、言葉を交わし、温かさを感じられる場所。子ども食堂は地域のにぎわいを作る場としての役割も担っているのです。
ここ数年で、子ども食堂は「だれでも来られる」場所へと進化してきました。「だれでも」という言葉には、貧困や困窮に直面している人だけでなく、普通の家庭や地域の住民も含まれます。そのおかげで、以前のように「子ども食堂に行く=貧困」というレッテルが貼られる心配が減り、多くの人が気軽に利用できるようになりました。
しかし、一方で「本当に必要な人に支援が届いているのか?」という課題も浮き彫りになっています。支援が必要な家庭ほど、プライドや遠慮から足を運ばないケースがあると言われています。また、対象が広がることで、運営側にかかる負担も増えました。残念なことに安価であるがため、大人が大挙して訪れるということも断ることはできないのです。
私の住む市では、今の市長への交代後に子ども食堂への補助金制度が導入されました。月2回の開催を条件に、上限100万円の補助金が受けられる仕組みです。これは、継続的に行うという予算の積算根拠があるはずなのですが、数字だけ見るとまるで「一回50万円使える」と勘違いしかねません。この制度により、新たに活動を始める団体も増えましたが、一方で議会では「他の子ども関連施策との差が不公平ではないか」という指摘も上がっていると聞きます。
この補助金は実績主義で経費補助が主ですが運営者の報酬や日当にも支出はできます。そのため、もともとボランティアとして無償で活動してきた団体にとっては、「お金をもらうのは本当にいいのだろうか」と見当違いな批判をする場面もあるようです。
それでも、私は子ども食堂は地域社会にとって価値のある存在だと思います。それは、子どもたちの孤食を解消するだけではなく、「人と人がつながる場所」を提供しているからです。忙しい日々の中で、親子や家族が一緒に過ごせる時間を作り出してくれる場所。子ども同士が笑い合い、大人たちが自然と交流する場。それは、単なる貧困支援ではなく、地域全体の豊かさを育む大切な機能ではないでしょうか。
もちろん、支援が必要な家庭にもっと届く工夫も必要です。しかし、「すべての人に開かれた場所」であることが、子ども食堂の魅力でもあります。特定の誰かだけではなく、地域全体を支える「誰にでも安心して開かれた場所」として進化していくことを期待したいと思います。
そのためには、利用する側にも節度が必要なのではないか、と思っているところです。「分かち合い」の精神で、必要以上に求めない、次の人のためにとっておくといった精神を今一度考えてほしいところです。
これからの子ども食堂は、さらに柔軟な形で進化していくべきだと感じます。本当に困っている家庭へのアクセスをどう改善するかはもちろん、運営者への適切なサポートや持続可能な仕組みづくりも課題です。また、行政だけでなく、市民や企業がもっと積極的に関わることで、新しい形の地域コミュニティが生まれるかもしれません。
子ども食堂が、「孤食」や「貧困」だけでなく、「地域のにぎわい」や「つながり」を生む場所として、今後も愛されることを願っています。地域社会の未来を担う子どもたちのために、そして、私たち大人自身が安心してつながるために――。
あなたの町の子ども食堂は、どんな場所になっているでしょうか?