みなさま、読んでいただきありがとうございます。
私は、最近、海外旅行switchが入っている60代です。つい先日、人生2回目のマカオ旅行に行ってきました。1回目の訪問では、華やかなカジノや豪華なリゾートホテル、そしてポルトガル風の街並みに圧倒されっぱなし。ですが、今回は「表面に見える派手さの奥にあるもの」をすこしでも探る旅にしたいと思いました。
前回との違いは他にもあります。前回は一人旅でしたが、今回は同行者1名と行きました。普段はそんなことを思わない私が、めずらしく「この景色を他の誰かと共有したい」と考えたからです。前回とは1年半くらいでの再来でしたが、この短期間でもどんどん進化していることが見て取れました。その辺のこともお伝えできたら、と思っています。
マカオには、400年以上のポルトガル統治時代の遺産と、返還から25年の発展が交錯しています。歴史と文化、そして目覚ましい経済発展を体感する場所として、改めて「この街を深く知りたい」という気持ちが湧き上がったのです。
また、今回の旅では観光地巡りだけでなく、伝統的な食文化や、埋め立て地に生まれた巨大なリゾートエリアなど、今のマカオが持つ多面的な魅力に目を向けることをテーマにしました。
マカオは、1999年にポルトガルから中国へ返還されて以来、特別行政区として「一国二制度」の下で発展を続けています。カジノ産業を中心に観光都市として急成長し、今や「世界のラスベガス」とも称される存在です。本場ラスベガスには行ったことはありませんが、それに匹敵するような空間ということでしょうか…。
(参考)カジノ業界の世界市場シェアの分析についての記事はこちら
今年、マカオは返還から25周年の節目を迎えました。街中には記念の横断幕が掲げられ、中国本土とのつながりを感じさせる風景が至るところにありました。一方で、世界遺産地区や伝統的な食文化には、ポルトガル時代から続く魅力が色濃く残っています。この「変わるもの」と「変わらないもの」が共存しているのが、マカオを訪れる楽しさだと感じます。
今回の旅では、以下の3つのテーマに注目しました。
ポルトガル統治時代に築かれた聖ポール大聖堂跡やセナド広場、さらには石畳の道やカトリック教会など、400年以上続いたポルトガル文化の影響を感じるスポットを訪れました。世界遺産があの小さなエリアに 30もあるなんてすごいと単純に思いました。前回は、時間と体力の関係で数カ所しか回れませんでしたが、今回は同じ所の他に行ってみようと思うところがあったのでそれも楽しみでした。
世界遺産に登録された街並みを歩くと、過去のマカオの姿が今も息づいているのを感じます。特に、聖ポール大聖堂跡は絶対に外せないし、何回行っても圧倒されます。また、在りし日の建築を仮想空間で見せるという試みもありました。
今回も前回同様、半島側とコタイエリアの2箇所に宿泊しました。
半島側を外せなかったのは、世界遺産への足がかりにしたいため。また、コタイエリアはリゾート目的でした。
宿泊したコタイ側のベネチアンマカオをはじめとするコタイ地区の統合型リゾート群は、埋め立てによって誕生した人工の土地に築かれています。サンズグループを中心に、巨大なテーマホテルが立ち並び、それぞれが独自の世界観を持つ「観光地」として機能しています。コタイ地区は、返還後のマカオが目指した「経済発展」の象徴とも言えるエリアです。
マカオの食文化は、ポルトガルと中国の融合が生み出した「マカニーズ料理」が特徴です。エッグタルトやミンチィ、アフリカンチキンなど、ポルトガル時代の影響を受けた料理を現地で堪能しました。歴史を知った上で味わうと、一皿一皿に深みが増していきます。前回はほとんど食事らしい食事をしなかった私ですが、今回はご当地でしか味わえないようなものを意識して食べてみました。
マカオは半島側とコタイエリアの2つの部分に大きくわかれますが、このほど両者をつなぐ4本目の橋が架かりました。また、LRTについても新線が延伸しています。また、コタイエリアの北側にもどんどん住居エリアや新しいホテルが建設中です。このような発展し続けるマカオについても少し触れてみたいと思います。
次回の記事では、まず「ポルトガル統治時代の遺産と歴史」に焦点を当て、聖ポール大聖堂跡やその他世界遺産について少し詳しく掘り下げ、この街が「東洋と西洋の交差点」と呼ばれるゆえんに迫ります。
その後のシリーズ記事では、統合型リゾートの壮大な計画や、伝統的な食文化の背景なども取り上げる予定です。ぜひ次回もお楽しみに!