日々の食事と、ちょっと特別な時間について考えてみました
ある日、知人数人と地元のレストランの話になりました。私もつい先日家族と訪れたことがある、景観も建物もコンセプトも素敵なお店の話題が出たのです。話題の主であるその知人は、そのレストランにオープン早々お友達といかれたのだとか。景観の良さや味は認めるものの、現金を扱わないことや飲み物込みで3000円近くになったことなどで「再訪はない」と感じたそうです。いろいろ、良さは認める口ぶりではあったものの最終的に下したジャッジはとても辛いものだったようです。
彼女は、仕事をされていた頃には結構職場の同僚とあちこちのグルメを堪能されたとお聞きしていましたので、何か納得のいかないものがあったのでしょう。自分の立ち位置が変わったことにより年月が経ち価値観の変化があったのかもしれません。
この方は味噌も保存食も手作りにこだわるような料理好きで、そういうことからも、発言にはある種のプライドというか一貫性は確かに感じて取れました。
「3000円のランチは高い」
たしかに、そう感じるのもわかります。
1日3回の食事のうちのたった1回に3000円。家で何日分ものご飯が作れそうだし、定食やお弁当ならもっと手軽に済ませられます。
でも、その一方で、「ランチの“価値”って、金額だけで測れるものかな?」と考えてしまったんです。
というのも、その話題のすぐ後、私はもっと高いランチに行こうとしていたのですから(それは流石にその場では言いませんでしたが・・・)
このお店はずっと気になっていた場所で、ついに行くことができたのです。行きたかったけど、正直お値段が張るので、なかなか誘う相手を選んでしまっていて…。一人ではさすがに寂しい、でも、家族と行くには人数分の費用がかさむし、などと思いきれないまま時間が過ぎてしまっていました。
そんな中、思い切って誘ったところ、快く「一緒に行こう」と言ってくれた友人が実現への道を開いてくれました。彼女には「誘ってくれてありがとう」とまで言ってもらえたのです。…こちらこそ、ありがたい気持ちでいっぱいでした。
そんな経緯で訪れたお店、その日感じた満足感は、6600円+税という価格を超えていたと本当に思います。
もちろん、気軽なお値段で楽しめるランチも好きです。
…ただ、正直、「日常の延長」のような、“このくらいなら自分で作れそう…”と思ってしまう内容だと、普段料理をする身としては、残念です。特別料理好きというわけではないこんな私でもプライドがあるのかもしれません。
「食」は本当に幅広くて、日常から非日常までいろいろありますよね。毎日のことだからこそ、線引きが難しい。空腹が満たされればそれで十分、という考え方もあるし、実は私もダイエット中なので、できれば外食は控えたいし、栄養価の方に気持ちが動きます。
それでも、久しぶりに出かけて心が動いたり、「行ってよかった」と感じたりするごはんの時間は、やっぱり大事にしたいなと思います。食を通じて、人との関係や自分の気持ちが少し豊かになる、そんな瞬間もあるんですよね。
「ランチにいくら出せるか」というのは、お金の話でもあるけれど、同時に「どんな時間を過ごしたいか」とか、「誰と一緒に過ごすか」ということにもつながっているような気がします。
今回、このレストランに行くにあたり、「何を着ていこうかしら」「パンプスの方がいいかしら」「お化粧はしたほうがいいかな」…などと、自分もその空間にできるだけふさわしいたたずまいにしようとあれこれ想いをめぐらせました。本当に久々にヒールのある靴を履いて背筋をのばしてみたのです。
私は庶民ですし、正直こういったお店に行けるのは年に一度あるかないか。でも、行ってみればそこには、普段は見られないような、圧倒的な“プロの仕事の極み”がありました。
その緻密さや美しさに触れるたび、「またいつか来たい」「そのために日常を頑張ろう」と思える。
そんな非日常との出会いは、心の栄養でもあるのかもしれません。
👉 次回は、その“特別な一日”について少し詳しく綴ってみます。
「世界一のシェフ」が作る福井の
『ジャルダン』で感じたランチの“贅沢”の本質 を考えた記事に続きます。