Categories: 旅行

「“女性初”を話題にする社会のほうが、もう時代遅れだ」

先日、県の要職に中央人事で女性が就任しました。
たしかに、そのポジションに女性が就くのは初めてのことらしいです。
でも、その事実よりも、「初の女性」とわざわざ言われることに、なんとも言えない違和感を覚えました。

彼女は、その役職にふさわしい実績を積み、必要な経験を重ねてきた人でしょう。
“女性だから”選ばれたのではない。たまたま女性だった――それだけのことです。
それなのに、決まって出てくるのは、こんな言葉です。
「化粧が濃いよね」「服装が派手じゃない?」「なんか気が強そう」――。

同じポジションに男性が就いていたら、誰がそんな話をしたでしょう・・・。
容姿も性格も話題になどならないです。話されるのは、これまでの職務経験や手腕についてだけ。
けれど女性になると、なぜか仕事と関係のない“見た目”や“雰囲気”が、評価の対象になる。独身か、結婚しているのか、子供は産んだことがあるのか・・・・。
それはもう、理不尽としか言いようがない。

こうした声の多くは、年配の男性たちから聞こえてきます。
そして、彼女の同世代の男性のなかにも、「女にポジションを奪われた」とでも言いたげな、無言のざわつきがあるのです。
彼らの違和感は、もしかすると、時代の変化に対する戸惑いなのかもしれない。
でも、その感覚のまま社会を止めてはいけないと思います。

だからこそ私は、彼女と直接話す機会は皆無ですが、「頑張って」と思っています。
“女性だから”ではない。
その立場に就いたことで、必要以上の視線や言葉にさらされてしまう不公平さを思えば、
静かに、それでもしっかりと前を向いて進む彼女に、心からのエールを送りたくなるのです。

本当は、“女性”が要職に就いたというだけでニュースになる社会のほうが、もう恥ずかしいと感じています。
そんな時代が一日も早く終わって、
「ああ、いい人が選ばれたね」――それだけで済むようになることを願っています。

案内人りく