和歌山県・白浜町といえば、多くの人がまず思い浮かべるのが「アドベンチャーワールド」と、そこで愛されてきたジャイアントパンダたちの存在かもしれません。
実は私が、白浜の名門「ホテル川久」に宿泊したのは、まさにそのパンダたちが中国へ返還される前日のことでした。
この春、30年以上にわたって飼育されてきた白浜のジャイアントパンダたちがすべて中国に返還されるというニュースが報じられました。その余波もあってか、白浜町の宿泊施設では一時的に価格が見直され、これまで「いつか泊まってみたい」と思っていたあの川久が、私にもなんとか手の届く料金になっていたのです。
まるで、パンダたちが最後にくれた“贈りもの”のようなタイミング。偶然とはいえ、不思議なご縁を感じながら足を踏み入れたその場所は、想像以上の体験を私にくれました。
「ホテル川久」という名前は、かねてから耳にしていました。YouTubeでも紹介されることが多く、“まるで宮殿”“美術館のようなホテル”と語られるその姿には、ある種の夢のような憧れを抱いていました。
しかし、実際にその空間に身を置いてみると――
想像の中の“豪華さ”など、簡単に飛び越えていくような圧倒的な存在感がありました。
広々としたロビー、22K金箔が施された天井、煉瓦造りの重厚な壁面、手作業で仕上げられた細やかな装飾。館内に足を踏み入れると、そこには「ラグジュアリー」とは別の言葉がふさわしい、“文化としての重み”が静かに息づいていました。
チェックイン当日は混雑もなく、静けさに包まれたホテル全体が、私にだけ特別に開かれているかのようにすら感じられたのです。
建築が好きな私にとって、この滞在はまさに夢のような時間でした。
使用されている素材や技術には、スペインやイタリアの伝統技法が随所に見られます。瑠璃瓦47万枚、英国製煉瓦140万個、金箔、漆喰――どれもが単なる装飾ではなく、職人の魂と時間の積み重ねです。
特に感動したのは、その“本気”が空間全体からにじみ出ていること。装飾や設備はもちろん、ひとつの通路、壁の角度、光の入り方に至るまで、「このホテルを造った人々の美意識」が伝わってくるのです。
一時は廃業も経験したと聞きましたが、そうした歴史をも内包したこの場所には、派手さだけでない、静かな説得力があります。
長年白浜の象徴だったパンダたちがいなくなった今、町の空気には少しだけ静けさが漂っているようにも感じます。けれど、その静けさの中だからこそ出会えるものもあるのかもしれません。
日本には、直島の「地中美術館」のように、アートと建築に身を委ねる滞在型施設も増えています。
“パンダロス”を癒す旅の先には、まだまだ知らない“心が動く風景”があるはずです。
そして私にとって、「ホテル川久」はその入口となるような、特別な一夜でした。