先日、仕事で高校生たちと一緒に地域の児童館を訪れる機会がありました。
目的は、高校生と子どもたちとのふれあい活動のサポートです。
高校生が入ってきた瞬間、児童館の雰囲気が一変しました。
ぴょんぴょん駆け寄っていく小さな子、なぜか急にテンションが上がる子、じっと見つめて動かない子も。
その様子を見ていた職員の方がぽつりと、
「私たち大人より、高校生や大学生が来ると、子どもたちの反応がぜんぜん違うんですよね・・・」
と話されました。
たしかに──。
子どもたちは、大人に対するのとはまるで違う空気感で高校生たちと接しているように見えました。
どうしてなんだろう?と気になって、少し調べてみたところ、これは児童心理学の分野でもきちんと説明されている現象のようです。
子どもたちは、「少しだけ年上の存在」に自然と惹かれる傾向があります。
たとえば、年齢差が大きい大人よりも、自分のすぐ上──たとえば中高生などを、「ああなりたい」と思える現実的な憧れの対象と見ているのです。
これは心理学の用語で「同一化(identification)」と呼ばれるもので、
子どもは自分より少し先を歩く誰かの姿を通して、将来の自分を思い描くことができます。
もう一つ、発達心理学者ヴィゴツキーの提唱した**ZPD(近接発達領域)**という理論も関係しています。
簡単にいうと、
「子どもが自力ではできないけれど、ちょっと助けてもらえればできること」
の範囲を“ZPD”と呼びます。
この「ちょっと助けてくれる存在」として、年齢が近い高校生や中学生は非常に適しているとされています。
大人では教えすぎてしまうし、年下の子同士ではまだ難しい。
だからこそ、少しだけ先を行く高校生の関わりが、子どもたちの成長にフィットするのです。
高校生は大人のように「叱らないし、指導しない」けれど、子どもよりちょっとしっかりしている。
この絶妙な距離感が、**「評価されない安心感」**を生み出します。
子どもたちは「遊んでくれる大人」よりも、「一緒に遊んでくれるお兄さん・お姉さん」に心をひらきやすいのです。
この現象は、じつは日本だけではありません。
世界的にも「年上の子どもが年下の子どもと関わる」教育的手法は効果があるとされています。
たとえばアメリカでは、
といったプログラムが導入されていて、子どもの自己肯定感や社会性の向上に効果があるとされています。
つまり、「高校生が来ると子どもがいきいきする」というのは、国や文化を超えた自然な心の反応なのです。
児童館や公民館といった地域の施設は、学校では得られない「異年齢の出会い」をつくる場でもあります。
高校生が地域の子どもたちとふれあう場面には、学年や教科では測れない社会性・共感性・ケアの心が育まれていきます。
大人が手を引くのではなく、「ちょっと年上のお兄さん・お姉さん」が隣にいる。
それだけで子どもは、自分から世界に一歩踏み出そうとするのかもしれません。
今回の児童館訪問は、「高校生の存在って、こんなに子どもに影響を与えるんだ」と気づかされる出来事でした。
教育でも福祉でも、つい「大人の指導」が中心になりがちですが、
もしかしたら地域の未来を育むのは、高校生たちのまなざしなのかもしれません。
では、中高年の私たちはどう子供たちの前で振る舞えばいいのか?
その方法は、別の章に譲りましょう・・・。