私たちはついつい、相手のためを思って手を出しすぎたり、口を出しすぎたりしがちです。特に、相手がうまくできない様子を見ると、「もっとこうすればいいのに」「なんでわからないんだろう」と焦りが生まれ、つい先回りして手伝ってしまいたくなります。
これは、大人から子供に対してはもちろん、大人同士でも起こり得ることです。しかし、この「親切心」が、かえって相手の成長を妨げ、萎縮させてしまうことがあります。
手を出しすぎる、口を出しすぎる行為は、相手から自分で考える機会を奪います。
例えば、子供がブロックを積もうとして何度も崩してしまう場面を想像してみてください。
どちらのケースでも、子供は自分で「どうすればうまくいくか」を試行錯誤する時間がありません。代わりに、「お父さん(お母さん)の言う通りにすればうまくいく」という受け身の姿勢を身につけてしまいます。
これは大人も同じです。仕事で新しい業務を教える際、上司が細かすぎるマニュアルを渡したり、常に横で口出しをしたりすると、部下は「自分で考えて行動する」のではなく、「言われたことだけをこなす」状態に陥りがちです。
では、どうすれば相手の学びをサポートできるのでしょうか。大切なのは、**「教える」のではなく「見守る」**という意識を持つことです。
「教える」ことは、相手の能力を否定することではありません。むしろ、相手が自分で成長する力を信じ、その手助けをすることです。
相手が迷っているとき、壁にぶつかっているとき、すぐに答えを与えるのではなく、見守り、励まし、問いかける。この「ちょうどいい」距離感を保つことこそが、教える側にとっての最大の課題であり、最も大切な役割なのかもしれません。
人に何かを教えるとき、あなたはついつい手を出しすぎていませんか?
ちょっと私見の目線を交えて「私はついつい人任せにできない」ということも入れたいです。中高年のかた、とひとくくりにすると乱暴ですが、経験豊かであるがゆえにリードしすぎる、ということもあり。和をもって貴しとなす、という精神がすきというわけではないが、私は協調性がないとよく言われる。評価としては低いので残念
人に何かを教えるとき、ついつい力が入ってしまうこと、ありますよね。「ああ、もういっそ自分でやったほうが早い!」そんな風に感じて、結局は自分で全部やってしまう。私自身、まさにそのタイプです。特に、経験が豊かになればなるほど、自分のやり方が一番効率的だと思ってしまいがちで、「ちょっと人任せにできない」という気持ちが強くなります。
これは中高年の方に多い傾向かもしれませんが、決して年齢だけが理由ではありません。経験に裏打ちされた自信が、時に「相手を信じて任せる」ことのハードルを上げてしまうのです。その結果、相手の自主性を奪い、自立的な学びの機会を摘んでしまっているのではないか、と反省することも少なくありません。
「和をもって貴しとなす」という言葉があります。この言葉に必ずしも共感するわけではない私のような人間は、「協調性がない」と評価されがちです。その評価を残念に思う気持ちは、私も同じです。しかし、協調性がないからといって、教えることが苦手だというわけではありません。
大切なのは、相手の学びを阻害しないための**「一歩引く勇気」**を持つことです。
協調性がないと言われる私たちができること。それは、**「相手を信じて任せる」**というシンプルな覚悟を持つことです。それは、単に仕事を丸投げするということではありません。相手の能力を信頼し、自分で考え、行動する機会を与えることです。
教えるとは、相手の成長を信じ、そっと背中を押してあげること。その「一歩引く」姿勢こそが、相手の力を引き出し、そして自分自身の成長にもつながるのではないでしょうか。
あなたは、相手の成長のために、一歩引く勇気を持てていますか?