GLAYが30周年を迎え、今、ツアーの真っ最中です。つい最近は、紅白歌合戦への25年ぶりの出場が決定しました。このニュースは、多くのファンにとって感慨深いものです。長年応援してきた私も、この節目に改めて「なぜGLAYのファンであり続けられるのか」を考えてみました。彼らの音楽が、時代を超えて愛される理由と、その普遍的な魅力について整理してみたいと思います。
初期のGLAYと「ビジュアル系」の時代
GLAYといえば、初期の頃は「ビジュアル系」というジャンルの中で語られるバンドでした。今ではあまり聞かなくなったこの言葉ですが、当時は化粧や奇抜な衣装で個性を主張するバンドが主流でした。GLAYも例外ではなく、HISASHIさんやJIROさんの尖った髪型やスタイリングは非常に印象的でした。
ただ、GLAYはその「ビジュアル」にとどまらず、音楽の力で大きく進化していきました。彼らの曲はキャッチーで親しみやすいだけでなく、深いメッセージ性を持っていました。「HOWEVER」や「Winter, again」のように、人々の心に訴えかける楽曲が次々と生まれ、多くの人の記憶に残る存在となったのです。
GLAYの音楽に宿る普遍性と一貫性
GLAYの楽曲の魅力を挙げるとすれば、「一貫したメッセージ性」がまず思い浮かびます。愛、希望、別れ、再生といった普遍的なテーマを、時代に応じた表現で届けてくれるのがGLAYの音楽です。それは最新のアルバム曲にも、ライブで久しぶりに演奏される過去の名曲にも共通して感じられます。
特に最近のツアーでは、しばらくライブで演奏されていなかった懐かしい曲が披露され、ファンにとっては特別な体験となりました。それと同時に、最新のアルバムからの楽曲も演奏されており、新旧の楽曲が共存するステージの楽しさは、まさにGLAYならでは。30年という長いキャリアの中で、時代が変わっても、一貫した魂を吹き込んだ音楽を作り続けていることが実感できます。
TAKUROとHISASHIの「阿吽の呼吸」から生まれる楽曲
GLAYの楽曲は、特にTAKUROさんとHISASHIさんの絶妙なコンビネーションから生まれるものが多いです。その象徴とも言えるのが、「Winter, again」の誕生秘話です。
この曲は、函館出身のメンバーだからこそ共有できる「雪虫がチラチラ舞うような冬の風景」を表現したいと、TAKUROさんがイメージを語り、HISASHIさんがギターを爪弾きながら形にしていったと言われています。まさに「阿吽の呼吸」から生まれたこの楽曲は、情景描写の美しさと普遍的なメロディーで私も大好きな曲です。
最近のテレビ出演でも、GLAYの曲作りはこうしたメンバー間の自然な対話やひらめきから生まれることが多いと語られていました。この「Winter, again」のエピソードは、まさにGLAYらしい創作スタイルを象徴するものと言えるでしょう。
波乱の時期とラバーソウル設立
GLAYの歴史を語る上で、事務所とのトラブルや活動制限の時期は避けて通れません。所属事務所との方針の違いから、著作権を巡る訴訟が発生。その結果、彼らは独立を決意し、自身の会社「ラバーソウル」を立ち上げました。しかし、当初はレコードレーベルを持たなかったため、活動に制約が生じていました。
それでも、GLAYはその間もブランクを感じさせないほど精力的に音楽を届け続けました。EXILEや氷室京介さんとのコラボレーション活動は、その時期の象徴ともいえるでしょう。この困難を乗り越えた経験が、彼らをさらに強くし、現在の活動の礎となっています。
30周年のメモリアルイヤーと紅白で何を歌うのか?
今年の30周年記念イヤーは、GLAYの歩みを振り返る機会であると同時に、新たなチャレンジの年でもあります。ライブやメディア露出を増やし、ファンとのつながりをさらに深めてきました。そんな特別な年の締めくくりとしての紅白出場は、まさに最高のプレゼントと言えるでしょう。
紅白の舞台で何を歌うのか、ファンの間でさまざまな予想が飛び交っています。「HOWEVER」や「Winter, again」といった定番の名曲か、あるいは新たなメッセージを込めた楽曲か。何が選ばれるにせよ、30年の歴史を感じさせるパフォーマンスを見たいものです。私も、久しく遠のいていた「紅白視聴」の動機ができました。
GLAYのこれからに向けて
GLAYの音楽は、ファンの私にとって特別な思い出と共にあります。そして、その普遍的な魅力は、新たな世代にも確実に届いているようで、コンサート会場では私よりずっと若い親と子供の姿もたくさん拝見します。
紅白という節目の舞台を経て、GLAYがさらにどのような音楽や挑戦を見せてくれるのか。これからも、その歩みを楽しみにしたいと思います。