最近、急に寒くなりました。私もやっと先日「きちんと」衣替えをしました。それまでは半袖と長袖がごちゃごちゃにクローゼットに入った状態だったのです・・・。
ところで。服装に関する日常会話でちょっとしたエピソードがあったので書きます。
エピソード
私はバイトをしている中高年です。
悩みは、会話力に自信がないこと。天気の話題すら得意ではないことが多いです。そんな私が最近体験した“ちょっとした会話の違和感”をもとに、日常会話の難しさを整理してみます。
ある日、普段あまり着ないコートを着て出勤しました。ふと同僚が声をかけてくれて――
- 同僚:「あら、素敵なお召し物ね」
- 私:「ありがとう。季節が短くて、あまり着る機会がないんです」
- 同僚:「私、そういうアウター、もう買わなくなりました」
・・・ありがちなちいさなやりとりです。でも、それが帰り際だったので、帰宅後もしばらくもやもやしてしまいました。
もやもやの原因はなんだろう、と冷静に考えて気づきました。
最初は褒め言葉で始まった会話が、いつのまにか同僚の“私見”にすり替わってしまっていたから、です。
「いやいやいや、、、私の服のはなしなのに。しかも、話し始めはあなただし・・・。私は、あなたの服装のポリシー、行動変容を聞かされてしまったの?」という気持ちがもやもやになったのでしょう。別に冷静に考えたら嫌な内容ではないのですが、流れが「変」と感じたのですね。
そして、話の主語が自分(私)から相手(同僚)へ移り、私は「あなたはあなた、私は私」と感じる小さな距離を残されたというわけです。
これがどういう感覚か、きっと伝わる方も多いはずです。悪気はない。ただ、会話の“軸”がずれる瞬間に、置き去りにされたような寂しさや違和感が残る――それが今回の核心です。
会話の“主語”がずれるときに起きること
会話の流れには、大まかに分けて2つの反応パターンがあります。
- 支援応答(support response):相手の話題を受け止め、深めたり共感を返す。例:「せっかくのコートなのに季節が短いのは残念ね」など。
- 転換応答(shift response):話題を自分のことに切り替える。例:「私、もうそういうの買わないの」など。
転換応答は悪意があるわけではありません。むしろ会話を自分の経験に照らして広げているだけ、ということが多いです。ただ、受け手は「せっかく私に向けられていた言葉が、いつのまにか相手の話に置き換わった」と感じ、不意に距離を覚えることがあります。
私の場合は、最初の「素敵ね」が“私への言葉”だったからこそ、次の「私、買わなくなったわ」には心が引っかかりました。これは「話の主語が変わった」という非常に微細なズレです。最初はなぜ違和感をおぼえたのかわかりませんでしたが、こうやって整理したことにより明確になりました。
また、普段から服装に関してはできるだけ華美にならないよう気をつけていましたが、違った服装をしていくたびにちょこちょこコメントをもらっていたので、「やっぱりいわれてしまったか。」という気持ちや「別にあるものを着ているだけだし、ずいぶん前に買ったものだし」等々余計な言い訳のような言葉が頭に浮かんでしまったのでした。
なぜこのズレに敏感になるのか(私の事情)
冒頭にも書いとおり、私はコミュ力に自信がありません。なので、「うまくやろう」として、ちょっと過敏になってしまうところがあるのです。
- 私自身、会話に自信がなく、相手の反応に敏感です。だからこそ、言葉の方向性(自分に向いているかどうか)に気づきやすい。
- 日本語の会話には、褒め言葉や気遣いが含む微妙な順位や比較のニュアンスが入りやすい。相手の一言に「あなた」と「わたし」の線引きを感じることがあります。
- 会話は相互の距離を測る行為でもあり、誰かの「許容量」に触れてしまうと、思わぬ反発や冷たさが返ってくることもある。これを何度か経験すると、自然と殻に閉じこもりたくなる。
「社交的な人」と「私」の差はどこから来るのか
・・・実は私と服装の会話になった方は普段から会話が上手(に見える)です。高齢者とも若い方とも親近感のある会話をしておられます。なので、どうしても「愛されキャラ」的になっていくし、私はいつまで経ってもなんか距離のある人、から抜け出せないままです。
さて、どうしましょう?
表面上、会話が上手に見える人は、必ずしも深く意味のあることを言っているわけではありません。多くの場合、彼らは浅い共有を積み重ねるのが上手です。
- 天気や季節、行事、ちょっとした感想――そうした“浅い話題”を場面ごとに繰り返すと、周りに親しみやすさが伝わる。結果として「不特定多数に親しまれている」ように見える。
一方で、私のように誠実に相手を見て会話をすると、少し踏み込んだ瞬間に相手が引いてしまい、差がついて見えることがあります。損をしているように感じることもあるのです。
心が折れそうなとき、でもどうにかしたい気持ち
- ほんの一言で反発を受けると、心が萎えて「もう話さない方が安全だ」と学習してしまいます。
- でも、社会的な場や公民館の仕事では、全く話さないわけにもいかない。何とかして気まずさを避けたい、でも自然に振る舞いたい――その板挟みに悩む日々です。
そんなときに私が見つけた、無理のない工夫をいくつか書きます。
小さな工夫
- 「ありがとう。今日はちょっと気分を変えてみたんです」
- シンプルで相手の言葉を受け止めつつ、会話を軸のまま保てます。
- 「そう言ってもらえてうれしいです。季節が合うとまた着たいですね」
- 相手に共感を返しつつ、自分の立場(着る機会の少なさ)を自然に伝え直す。
- もし相手の反応が距離を作るようなら:軽く笑って話題を切り替える(例:「では今日の仕事に戻りましょうか」)・・・・
言う側(褒める側)としての言い方の工夫
- 「その色、今日の雰囲気に合っていますね」→“あなた”に向けた言葉にする。
- 「あ、そのデザイン、珍しいですね。どちらで?」→具体的な変化に触れると、表面的な褒め言葉より受け取りやすい。
- 親しくない人に対しては、深掘りは避ける(転換応答を控える)のが安全。
会話の距離を測るコツ
- 最初は浅い共有(天気や催しの感想)から入る。場の“貯金”を少しずつためる。
- 相手が短く返すタイプなら、深入りは避ける。話が弾む人には、少しずつ自分のことを重ねていく。
- 会話に疲れたら、聞き手に回る。聞き役は好感度を上げる効果がある。
「落ち込む自分」へのセルフケア
- 拒絶されたように感じても、それは必ずしもあなたの人格を否定するものではありません。多くの場合、相手の“境界”に触れただけです。
- 小さな出来事は一日の一部。深呼吸してから次の場面に向かう。そうしているうちに、自然とバランスが取れていきます。
- ブログに書くことで、自分の感情を整理できる。読んでくれる誰かが「私も」と共感してくれるかもしれない。
最後に ―― ひるまず、でも無理はしない
会話が難しいのは、相手それぞれの“心理的距離”が見えにくいからです。だからといって、深く傷つくたびに身を引く必要はありません。私はこれからも、無理のない範囲で少しずつ挑戦していきたいと思います。
- 浅い話題で“親しみの残高”をためること
- 相手の反応を見ながら、聞き手に回ること
- 受け取られ方が微妙だったときのワンフレーズを準備しておくこと
これらを心の小道具にして、また一歩だけ前に出てみましょう。たとえ一回反発されても、それは会話の失敗ではなく、相手との距離を測るサインです。
おわりに
今、この文章をまとめながら気づきました。自分から無意識に否定的な言葉を言ってしまっていました。 「着るときがないんですよ」・・・知らず知らずの間にバリアというか、先回りというか、マイナスな言葉を言っていたのは自分の方でした・・・・。
もし同じような経験があれば、ぜひコメントで教えてください。あなたの小さなエピソードは、誰かの励ましになります。私もこのブログを通して、少しずつ会話の“コツ”を記録していきます。


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