先日、万博で「AIフォト」を体験しました。タイの民族衣装を着たり、ゾウに乗ったり、ポリネシア風の装いになったり。スクリーンに映し出される自分に思わず「おぉ〜!」と声が出るほど楽しかったんです。

ところが、出来上がった写真を見て驚きました。私の顔は、必ず“若いきれいな女性風”になっていたのです。私は60代。最初は「わぁ、うれしい!」と素直に喜びました。けれど、ふと我に返って考えてしまったんです。

「今のしわやたるみのある顔のままじゃ、残念ってことなの?」
「若返った姿が嬉しいってことは、やっぱり若さを求めているの?」

どうしてAIフォトは、勝手に“若返り”をしてしまうのでしょうか。
少し調べてみると、AIは大量の写真データを学習していて、そこから「美しい顔のパターン」や「標準的な若い顔の形」を合成しているそうです。つまり、AIが勝手に「理想的な平均像」に近づけてくれるのですね。だから、シワやたるみは消され、肌はなめらかに修正されてしまうのです。

思えば昔、プリクラもそうでした。撮ると必ず目が大きく、肌はつるつる。本人よりずっと可愛い仕上がりになって「誰これ?」と笑い合ったものです。AIフォトは、その進化版なのかもしれません。

整形を否定するつもりはありませんし、しわがあっても魅力的な人もいれば、顔に傷があっても堂々としている人もいます。そういう姿に憧れてきたはずなのに、AIで若い顔になった自分を見ると、やっぱりちょっと舞い上がってしまう。

じゃあ私はどうなりたいんだろう?
正直、答えは出ませんでした。

そんなことを考えていたら、別のパビリオンで「アンドロイドになって生き続ける」という展示に出会いました。AIフォトが“若返りの夢”を見せてくれるとすれば、こちらは“永遠の命”の夢。未来はこんな選択肢まで用意されるのかと驚きつつ、同時に思いました。

――やっぱり私は、今の顔で、今の時間を生きることに意味がある。

AIフォトは楽しい。でも時に、心の奥をそっとつついてくる罪作りな存在でもあります。

あなたなら、どう感じますか?