思うように歩けない立場になってみて気づいたこと

暮らし・日常

〜 一時的なギプス生活から見えた街  〜

足を痛めました。

実は今、1週間ほど前から足にギプスをしています。
痛みはほとんどなく、治療のための固定です。松葉杖も貸与されましたが、恐る恐るなら歩けます。この「中途半端に動ける状態」が、思っていた以上にやっかいでした。
歩けないわけではないので、じっとしていられない。つい歩いてしまう。
すると、やっぱり、損傷した部分が少しずきずきしたり、
今度は反対側の足にいつも以上の負荷がかかって、
膝が痛んだり、足がつったりします。

ほんの一時的ですが、
「思うように歩けない立場」を体験している、そんな日々です。

唯一、脱ぎ履きしやすいシューズがあって助かったのです。

電車移動、遠出で気づいたこと

 どうしても行きたい用事があり、土日に電車で移動してみて、
時間が普段の4倍ほどかかることを実感しました。普段なら楽勝の乗り換えも時間が心配で発車時刻の1時間前からホームを目指さないと不安でたまりませんでした。すると今度は早朝過ぎてゲートが閉まっている、という目にも遭いました。
 階段は特につらくて怖いので、松葉杖でエレベーターを待っていると、
後から来た人たちが次々と追い越していきます・・・。

もちろん、その人たちが悪いわけではありません。もしかしたら、普段の自分も同じような行動をしていたような気がします。ただ、その様子を見ていると、
「移動できること」「さっと歩けること」が、
いかに当たり前の前提として社会が回っているのかを
強く感じました。そして自分も「できて当たり前」という危うい前提で全て動いていました。

ずっと昔、若い頃に
「後期高齢者は、身体障害者でもあります。つまりケアの対象なのです」
という言葉を聞いたことがあります。

当時は正直、「え?」と思いました。
でも今、自分が思うように歩けなくなってみて、
その言葉の意味を、頭ではなく体で理解した気がします。

心も少し痛みました

土日には、なれない街で否応なしに歩いたり、同行者について行ったりしましたが、いつものペースで前を歩いていかれると、見失いそうになり、とても焦りました。

また、シャワーを使った時、片足を上げてバランスが不安定だったところにシャワーヘッドがうまくいい方向を向いてくれなかったので、バスタブの外まで水を撒き散らしてしまいました。

バストイレ一緒の空間だったので、次に使う人の「わー、べたべたじゃないの・・・」という声が聞こえ、うまくできない自分への情けなさと疲れで、じゅわーっと涙が出そうになりました・・・。

こんな時って心も普段より余計に疲れてしまいがちなんですよね・・・。

周りに優しく

幸い、今の私のギプスはいずれ取れる予定です。
少し我慢すれば、元の生活に戻れます。

けれど、この状態がこの先も続く方はたくさんいます。
そして私自身も、年を重ねれば、
同じように移動が難しくなる日が来るでしょう。

そんな目で街を見てみると、
地階からホーム階へのエレベーターはあっても、
ホーム間の移動には使えなかったり、
やはりこの街は車中心で作られていて、
ユニバーサルデザインとはまだ言えない場面が多いことにも気づきます。

今回の経験で、
「想像すること」と「実際に体験すること」は
まったく違うのだと、あらためて感じました。

だからこれからは、
高齢の方や、体の不自由な方に対して、
今までより、もう一歩やさしくできる人でいたい。
そんなことを、心に誓っています。

 

 

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