マカオの街を歩くと、アジアの他所には類を見ないような独特の雰囲気に気づかされます。モザイクタイルがあちこちに埋め込まれた石畳の道、白と青を基調とした絵柄タイルが多く使われたポルトガル風の建築物、カトリック教会の鐘の音…。これらはすべて、16世紀中頃から400年以上にわたるポルトガル統治時代の遺産です。この歴史があるからこそ、マカオは「東洋と西洋の交差点」と呼ばれ、世界遺産にも登録されています。また、中国古来の寺院や邸宅についても保存が試みられており、東洋と西洋の融合という言葉がまさにピッタリな不思議さを他のどこの街よりも感じることができます。
今回は、ポルトガル統治時代の足跡を中心に巡りながら、今も息づいているマカオが持つ深い歴史と文化の魅力を掘り下げます。
1. 聖ポール大聖堂跡:マカオのシンボル
まず、どのガイドブックにも「必ず訪れるべきスポット」として紹介されているのは、マカオを代表する観光スポット、聖ポール大聖堂跡(大三巴牌坊遗址 Ruins of St. Paul’s)です。16世紀にイエズス会の宣教師たちによって建てられたこの教会は、東洋で初めての西洋風カトリック大聖堂でした。しかし、1835年に火災で大部分が焼失し、現在はファサード(正面壁)だけが残っています。
この壮麗なファサードには、複雑な彫刻や装飾が施されています。そこにはキリスト教の聖人たちの姿だけでなく、東洋の龍や菊の花といった中国文化のモチーフも彫り込まれています。これこそ、マカオが持つ「東洋と西洋の融合」を象徴するアートと言えるでしょう。
さらに、大聖堂跡の隣から繋がる、砲台跡「モンテの砦」への道の途中には、イエズス会の宣教師として中国で布教活動を行った**マテオ・リッチ(Matteo Ricci)**の銅像が立っています。彼は16世紀末、ポルトガルの拠点だったマカオを足がかりに中国本土へと進み、儒教や中国文化を深く学びながら西洋科学やキリスト教を伝えました。彼の銅像がここにあることで、マカオがただの貿易港ではなく、東西文化が交わる重要な場所だったことを改めて感じます。私は、この像を始めてみた時、その風貌と服装のミスマッチに違和感を覚えたのですが、いわれを知ると納得できました。
今なら火災前の姿がVR再現で見られる
マカオを象徴する歴史的建造物のひとつである世界遺産・聖ポール天主堂跡の特設会場でマカオ政府文化局(ICM)が開催するバーチャルリアリティエキジビションが2024年12月31日まで開催されています。
マカオの世界遺産では初めてとなる裸眼3D、VR、AR等の最新デジタル技術を活用した内容で、約400年前の建造当時の様子を疑似体験できるといいます。私は今回、残念ながら時間が合わなくて見られませんでしたが、年内にマカオへ旅行される方はぜひご検討ください。詳細は下記のリンクをどうぞ。
2. セナド広場:ポルトガルの面影が色濃く残る場所
つぎにマカオ観光で外せないのが、世界遺産にも登録されている**セナド広場(議事亭前地 Largo do Senado)**です。この広場は、ポルトガル統治時代に行政の中心地として使われていました。
白いアーチ型の建物や、波模様が美しい石畳のデザインが広場を囲み、まるでヨーロッパの小さな街にいるかのような感覚を味わえます。この場所は現在も多くの観光客や地元の人々が集う場所で、歴史的な背景を持ちながら、日常生活の一部として息づいているのが印象的です。私が行ったときにはちょうどクリスマスのイルミネーションが設置され、昼夜問わずたくさんの方で賑わっていました。
広場の一角には、カトリック教会である聖ドミニコ教会 (英語: St. Dominic’s Church, ポルトガル語: Igreja de São Domingos, 中国語: 玫瑰堂) があります。この教会は、16世紀後半のバロック様式の教会であり、ポルトガル時代の遺産です。外観はアジア的な淡い黄色ですが、内部にはバロック様式の装飾が施されており、西洋文化の影響が強く感じられます。
3.動画で知った穴場ビューポイント
実はこの周辺を一望することができる穴場があるのです。それは「新中央ホテル」の屋上です。
つい最近リニューアルされて再開されたこのホテルは、宿泊者でなくても屋上に入れてもらえます。私たちが行った時は、入り口にホテルの方がおられ、「TOP、トップ・・・」という、なんともブロークンな英語で屋上に行きたい旨を言うと、察してくれ、エレベーターの方向を指し示してくれました。この屋上は、10:00PMまで開放されており、外へ出るとセナド広場が眼下に見えます。また、遠くにはライトアップされた 聖ポール大聖堂跡が浮かび上がっていました。私はこの屋上のことを動画で知り(その紹介は昼の景色ですが)、実際に行くことができました。
4.今回の旅で行くことができた世界遺産
マカオの歴史地区は、ポルトガル時代の建築物が数多く残っているため、2005年にユネスコ世界遺産に登録されたのは前述の通りですが、今回の旅では聖ポール大聖堂跡やセナド広場以外にも、東西文化が調和した建築物が点在している場所に行くことができました。それは、セナド広場から媽閣廟へ通じるエリアです。
媽閣廟
「マカオ歴史市街地区」として世界遺産にも登録されている媽閣廟は、航海の女神アーマ(阿媽)を祀る、マカオ最古の寺院と言われています。一説には、16世紀半ば、この地に定着し始めたポルトガル人が航海の女神アーマの名から、アマガオ(阿媽の湾)と呼び、それがいつしかポルトガル語で「マカオ」と簡略されたそう。ここがマカオの地名発祥の地と言えそうです。また、他にもこの単一の建築集合体の中に異なる神を祀る様々なお堂が存在するらしく、儒教、道教、仏教および複数の民間信仰の影響を受けた中国文化の典型的な例だと言えるそうです。風水的にもパワースポットと言われており、運気が上がるようご利益を求めていつもたくさんの方が参拝に来られています。
独特の、渦巻状の線香がたくさんぶら下がり、とても大きな爆竹を持っている方もおられ、私たちがイメージする中国らしい風景がみられました。
鄭家屋敷
1869年以前に建てられたこの屋敷は、著名な中国の文豪・鄭観應の伝統的な中国式住居でした。複数の建物と中庭で構成されており、アーチ型の装飾に灰色レンガを使用したり、インド式の真珠貝の窓枠に中国式格子窓が取り付けられるなど、中国と西洋の影響による様式が混在しています。
私は今回ここを訪れ、とても感動しました。最初はそこまで興味がなく、ちょうど通りがかりだし、他の世界遺産と違い、中国古来の家のようなので行ってみるか・・・という程度の気持ちでした。最初入り口がわからず、帰りそうになりましたが、他の旅行者が歩いて行かれるのをみてついていくと、なんと立派な入り口が広がっていたのです。
マカオ単体のガイドブックがほとんどなく(大概のガイドブックは香港とセットで、しかもマカオ紹介のページ数は限られている)、あっても、世界遺産めぐりでこの場所を丁寧に取り上げられている記事は見たことがなかったのですが、とてもおすすめしたい場所です。
とても広い邸宅で占有面積4000m²、総部屋数60以上というマカオで最大規模の住居ということで、円窓や意匠の凝った調度、中庭を四方で囲んだ部屋など、中国ドラマで見たような景色を見ることができます。なかなか中国本土へ行く機会はありませんが、ここでは、中華建築に西洋や外国の様式が取り入れられた初期の建物として一見の価値があります。
聖ヨセフ修道院および聖堂
日本人にもなじみ深い聖人フランシスコ・ザビエル(1506 – 1552年)の遺骨が祀られていることで知られる聖ヨセフ聖堂(圣约瑟夫大教堂 San José)は1758年に建てられた修道院を併設するバロック様式の建物で、入り口は印象的なアーチの石門でできています。
私たちはセナド広場から段々下っていく形でここをめざしました。最初に修道院の入り口にたどり着けましたが、建物の中へは入ることはできません。さらに坂を下って教会の入り口をめざしますが、敷地が思いのほか広いようで、ぐるっと一角を回り込む形でようやく階段にたどり着きました。
この教会はマカオにはめずらしく天井がドーム型になっており、正面にイエズス会の紋章があります。
フランシスコ・ザビエルは、1549年日本での布教活動を行った後に中国沿岸部を訪れ、マカオから約80km離れた中国の上川島で1552年に亡くなりました。ザビエルの死後、遺体はインドのゴアへ送られ、現在もゴアのボン・ジェズ教会 にミイラとなって安置されています。 ただし、右腕はローマへ送られました。 この右 腕が「聖腕」と呼ばれるものです。
聖ヨセフ教会にある遺骨については、転々としたのち、この教会に安置されることになったようです。彼の腕の遺骨は日本に向けられたものとして銀色の聖骨箱に保管されましたが、日本における宗教的迫害を考慮してマカオの聖ポール大聖堂に残されました。そして、近年、この聖堂に安置されることになったようです。かつて教科書で肖像画をみた偉人のもの、と思うと感慨深いものがあります。これが日本に送られるはずだったというのは、彼の遺志だったのでしょうか…。
異国の地で思いがけず日本との縁を感じた教会でした。
5. ポルトガル統治時代の遺産を未来へ受け継ぐ
1999年に中国へ返還されてから25年が経ち、マカオは目覚ましい経済発展を遂げています。特にカジノ産業の解放による観光業の発展が顕著ですが、一方でポルトガル時代の遺産は丁寧に保存され、観光資源として活用されています。
聖ポール大聖堂跡やセナド広場の歴史的な建築物はもちろん、街中の看板や標識に併記されたポルトガル語も、過去の名残を今に伝えています。また、マカオの食文化にはポルトガルの影響が色濃く残り、エッグタルトやミンチィ、アフリカンチキンといった料理がその象徴です。
返還後も消えることなく継承されているポルトガル文化は、マカオが単なる観光地ではなく、歴史と文化を大切にする街であることを物語っています。
まとめ:ポルトガル時代が育んだマカオの魅力
マカオは、東洋と西洋の文化が交差する特別な場所です。400年以上にわたるポルトガル統治時代の影響は、建築や食文化、言語など、さまざまな形で今も街に息づいています。そしてその遺産は、返還後も大切に保存され、観光地としてだけでなく、世界の歴史を語る場所としての価値を持ち続けています。
今回私たちはおもいがけず、世界遺産のすばらしさに魅了されました。残念ながら全部は廻れなかったのですが、次回マカオを訪れる機会があったら、表面に見える華やかさだけでなく、歴史的な背景を感じながら街を歩いて新たな発見をしてみたいです。