吉村大阪府知事の言葉に背筋が伸びた日吉村知事の言葉に触れて考えた、中高年が「次に立つ場所」

暮らし・日常

フラットな対話から見えた「本気」と、中高年の立ち位置

最近、若い配信者が大阪府知事にインタビューするYouTube動画を見ました。
全体にとてもフラットで、対立も演出もない対話でしたが、最後まで目を離せませんでした。
理由は明確で、画面越しにも「本気」が伝わってきたからです。

若い頃の話が示していたもの

印象に残ったのは、若い頃のエピソードでした。
高校から大学、司法試験を目指す過程で、テレビを一切見ず、時間をすべて勉強に注ぎ込んだという話です。

「京大生に勝つには、倍やるしかないと決めた」

その言葉自体は珍しくありません。
しかし、久しぶりにテレビを見たとき、映像と音がズレて感じたというくだりに、私は立ち止まりました。

そこにあったのは、美談ではなく、集中の代償としての孤独でした。

ストイックさの正体は「目標の置き方」

この話を聞いて、自然と思い出したのが
大谷翔平 選手です。

競技も立場も違いますが、共通しているのは、
「今」を感情で動かさず、目標から逆算して管理している点です。

努力しているように見えるのは結果であって、
本質は、日常を目標に従属させる設計ができているかどうかです。

語られた言葉の奥にあった視線

インタビューを何度か見返すうちに、
吉村洋文 知事の視線が、個人ではなく社会全体に向いていることに気づきました。

万博は「イベント」ではなく「装置」

大阪・関西万博 についての話も、印象的でした。

万博を単なる博覧会としてではなく、
大阪・関西の経済や文化を再び前に進めるための装置として捉えている。

成功か失敗か、賛成か反対か、
そうした二項対立よりも、
「動かすことそのもの」に意味を見ているように感じました。

今の日本に足りないもの

話を通して、何度も浮かんだ言葉があります。
それは「自信」です。

誰かを責める強さではなく、
何かに関わっていいと思える静かな自信。
日本社会全体が、それを失いかけているのではないか。
そんな問いが残りました。

中高年が感じやすい「脇役感」について

中高年になると、自分が社会の脇役になったように感じる瞬間があります。
前に出るのは若い人。
決定権も発信力も、遠のいたように見える。

ただ、このインタビューを見ていて思いました。
脇役になったのではなく、役割が変わっただけなのではないかと。

主役ではなく、流れを支える側へ

大きな決断を下す立場ではなくても、
流れを理解し、言葉にし、次につなぐことはできます。

拍手を送る。
記録する。
語り合う。

どれも小さい行為ですが、社会はそうした積み重ねでしか動きません。

次の一歩は「大きく動かない」こと

私自身、何か大きなことができるわけではありません。
ただ、この流れを無関係なものとして切り捨てない。
それだけでも、立派な参加だと思っています。

自分の立ち位置を決め直す

このインタビューは、
「何かを成し遂げろ」と背中を押すものではありませんでした。

「どこに立ち、どう関わるかを、自分で決めろ」
そう静かに問い返されているように感じました。

中高年になった今だからこそ、
無理に前へ出ず、しかし降りもせず、
自分なりの距離で関わり続ける。

それが、私にとっての次の一歩です。

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