——100年の祈りが溶かした、連れの「心の境界線」
ニューヨーク到着の翌日、日曜日。私たちは初めての地下鉄に緊張しながら、ハーレムにある「ベッセル・ゴスペル・アッセンブリー」を訪れました。この日を境に、私は一人の人間が「観光客」から「当事者」へと変わる、劇的な瞬間に立ち会うことになります。
前列で受けた「家族」としての祝福
係の方に促されるまま座ったのは、前列の中央付近。 「こんな前でいいの?」と気圧される連れをなだめ、始まったのは魂を揺さぶるゴスペル。その圧倒的な咆哮に包まれていると、キョウ子さんが現れました。
キョウ子さんは、私のダンスの先生のお知り合いです。私がNYに旅行に行くと知った先生がご自身のお知り合いをつなげてくださったのです。
私たちはlineでつながり、出発の数日前に直接やり取りをすることができました。ダンスの先生からは「元ツアーのガイドをされていたから、NYでやりたいこと、食べたいものなどを何でも聞いたらいいですよ」と言われていたのですが、私自身、せっかくつないでいただいたご縁で、なにをお聞きすればいいのか皆目わかりませんでした。
しかし、調べているうち、空白だらけの日程の中に日曜があり、ゴスペルを聞くにはどうしたらいいのかを訊ねることにしました。
そして、この「ベッセル・ゴスペル・アッセンブリー」で待ち合わせることになったのです。
キョウ子さんが到着し、私は初めての教会、初めてのゴスペル、そして初めての握手の嵐に戸惑ったことを正直につげました。すると彼女は
「だって、キリストの下では、私たちは皆、兄弟姉妹(Brothers and Sisters)でしょ?」
と、当然だとばかりにやさしく教えてくれました。私はこの言葉に軽い衝撃を受けたことを覚えています。
ゴスペルが進み、牧師が登壇すると
司会の方がこう告げました。
「今日、初めてこの教会に来た方は立ってください」
私たちは、キョウ子さんに促されるまま立ち上がり会場全体からの温かな拍手と祝福の歌声に包まれました。見ず知らずの異邦人を、全力で「歓迎」する。そのエネルギーに触れた瞬間、細胞の一つひとつが安堵で満たされていくのを感じました。
体育館での対話、100年の祈りの歴史
ミサの合間、「言葉もわからないでしょうし、私がせつめいしましょうか」と、現地で実際に牧師として活動するキョウ子さんに誘われ、私たちは建物の体育館へ移動しました。この教会は元学校だったのです。
そこで椅子を並べ、膝を突き合わせて語り合ったのは、この教会の102年に及ぶ物語です。
1920年代、人種差別の激しいハーレムへ命がけで通い続けた白人女性を含む、3人の女性の祈りから始まったこと。彼女たちが毎週欠かさず活動を続けたことで、荒れていた街に少しずつ「良い兆し」が見え始めたこと。
また、話が進むにつれ、彼女は自分のことについて語り始めます。どうやってこの地で牧師になり、今も大学院で学んでいるか、何をめざそうとしているのか、等々。
それは、以前、私が「学歴がかえって再就職のさまたげになっているのではないだろうか」などというような他人の都合ではない、自分の知的好奇心、やりたいことへの手がかりとしての純粋な学びの姿勢を貫いているひとりの人間にであえたのです。自分もかつて大学院に、ほとんど「知的好奇心」だけで進んでいった頃の純粋な気持ちを思い起こさせてくれたのです。
「観察者」から「当事者」へ——連れの背中が変わった日
実は、この日の連れはまだ、宗教や歴史の話にもそれほど強い関心を示していませんでした。私の後ろを歩く、いつもの「見学客」のスタンスだったのです。
しかし、変化は翌日に訪れました。 5番街を歩いているとき、彼は突然、自ら進んで教会の重い扉を押し開け、内部へと入っていったのです。
今までの彼なら考えられない行動でした。彼はゆっくりと聖堂を一巡し、別の教会では誰に促されるでもなく、古い木製の椅子に腰を下ろしました。
その背中を見て、私は確信しました。 彼にとって教会は、もはや「見学する古い建物」ではなく、**「自分を受け入れてくれる場所」**へとフェーズが変わったのだと。前日のハーレムで浴びた、あの無条件の受容と祝福が、彼の心の中にあった「異世界への壁」を静かに溶かしたのでしょう。
自分の意思で扉を開け、自分の足で居場所を見つけ、そこに身を置く。 それは単なる観光の一幕ではなく、一人の人間が世界と和解し、その一部として「受容」された、聖なる多幸感の瞬間でした。
「受容」のバトンを、次の場所へ
実は今回の渡米直前まで、私は「無職予備軍」という不安定な立場にありました。その宣告に至るまでには、思い出すのも辛い、心を削られるような体験を潜り抜けなければなりませんでした。
日本の片隅で、誰かをけなし合い、足を引っ張り合うことでしか自分を保てないような、閉塞感に満ちた人間関係。その渦中にいた私にとって、ハーレムの教会で浴びた「キリストの下では皆、兄弟姉妹」という圧倒的な肯定は、枯れ果てた心に注がれる慈雨のようでした。
「相手が楽しくなるように、まず自分が心を開く」
言葉にすれば簡単ですが、それを100年以上続けてきた人たちの笑顔と手の温もりは、何よりも雄弁なお手本でした。
4月から、私はまた新しい場所で、人と接する仕事に就きます。 あの重い教会の扉を自ら押し開けた連れの背中。そして、私を家族として迎え入れてくれたハーレムの人々。彼らから受け取った「受容」のバトンを、今度は私が、日本の、自分の手の届く範囲の人たちへと渡していきたい。
「つまらない足の引っ張り合いに、もう自分の大切な時間は使わない」
そう心に決めたとき、私のニューヨーク旅行は、過去を清算し、新しい自分を生きるための「再生の旅」へと変わったのです。

コメント