【NY編:第4回】王冠(クラウン)への螺旋階段胴巻きパスポートと25セントの攻防

ニューヨークの象徴、自由の女神。多くの人が「台座」までで満足する中、私はそのさらに上、選ばれた者だけが登れる「王冠(クラウン)」を目指しました。そこには、ガイドブックには載っていない、手に汗握る「現場のリアル」が待っていました。

リストバンドと「謎のコイン」

まずはバッテリーパークでチケットを引き換え、王冠へ行く証である「紙のリストバンド」を手首に巻きます。フェリー乗船時の検査は序の口。本当の試練は、リバティ島に上陸してから始まりました。

荷物を預けるコインロッカーは、台座の真後ろ、入り口の道路を挟んだ反対側にあります。もし25セント硬貨がなくても、行列を整理している係員から「トークン(代用コイン)」をもらえるという、知る人ぞ知るシステム。王冠を目指す者も台座までの人も入り口は同じですが、ここからのチェックが異常に厳しいのです。

「胴巻き」を巡る、決死のセキュリティ突破

入り口で、私の服の下に隠した「パスポート入れ(胴巻き)」が見つかってしまいました。「それはダメだ。ロッカーに預けてこい!」と非情な宣告。しかし、大切なパスポートを25セントのロッカーに預けるなんて、危機管理上ありえません。

周りを見ると手提げのバッグを持っている女性もたくさんいます。私はちょっと切れ気味に「ほかの人もバッグもっているじゃないの?」と日本語でまくしたてていると、いかつそうな係員をよばれてしまいました。おっとこれは危険。変な人と思われ退去させられては大変。

私は一度列を離れ、預けてきた振りをしたり、なんとか隙を突こうと行ったり来たり……。最終的には、空港のような金属探知機で「ピー!」と鳴り、ついに胴巻きを外す羽目に。厚着をしていたため、脱いだり着たりで時間はかかりましたが、没収は免れ、なんとか中に持ち込むことに成功しました。

目が回る螺旋階段、独り占めの絶景

台座までは、体力温存のためにエレベーターを待ちました。そしていよいよ、リストバンドを係員に見せ、王冠への階段を指差します。。

そこからは、一気呵成の登頂です。ひたすら続く、単調で狭い螺旋階段。20段ごとに踊り場はありますが、ぐるぐると目が回ります。幸い、私たちが登り始めた時は前後におらず、自分のペースで進めましたが、後からは続々と人が押し寄せてきました。

辿り着いた王冠の窓。上ってしまえば、狭いのは狭いですが、ちゃんと体の幅はありますし階段もしっかりしていました。162段だそうですが、必死だったからでしょうか、中高年の私たちでも無理せずいけました。頂上で係の方に記念撮影をお願いし、シャッターを切ってもらった時の達成感は、何物にも代えがたいものでした。

降りる時も螺旋階段ですが、これは別ルートで、楽に降りられたと思います。

リバティ島にはトイレがないかも、と思っていましたが、しっかりお土産屋さんもあるし、トイレもありました。もし足の悪い方でも台座まではエレベータがあるので登れますね。

エリス島:希望と現実の「門」

自由の女神を後にし、バッテリーパークへ戻るフェリーの途上。船はもう一つの小さな島、エリス島に寄港します。 かつての移民局。19世紀末から20世紀半ばにかけて、世界中から自由を求めてやってきた人々が、ここで入国審査を受けました。

私たちが直面した厳重な荷物検査。 パスポートを死守しようともがいた、あの緊迫感。 かつてこの島に降り立った人々もまた、自分の全存在を証明する書類を握りしめ、言葉の通じない係官を前に、期待と不安で胸を震わせていたはずです。

「自由」を得るためには、時に厳しい「審査(プロセス)」を通らなければならない。 それは、現代の旅行者である私にとっても、そして4月から新しい環境(実務の最前線)に飛び込む私にとっても、避けては通れないステップなのだと、遠ざかるレンガ造りの建物を眺めながら思いました。

私たちはあまりの風のきつさで上陸しませんでしたが、船上からみるとそこはかつての移民局のたくさんの建物がありました。気候の良い季節や休日にはお店も開くのでしょう。

埋め立てられた島と、守り抜いた「自分」|自由の女神とエリス島の記憶

ニューヨーク湾に浮かぶリバティ島と、隣り合うエリス島。 今では美しい観光地ですが、この場所にはかつて、世界中から集まった「希望と不安」を飲み込んできた巨大な歴史が眠っています。

1. 「女神」を迎えるために作られた大地

自由の女神は、アメリカ独立100周年を記念してフランスから贈られました。しかし、当時のリバティ島(当時はベドロー島)は、その巨大な像を支えるにはあまりに小さすぎたといいます。 女神を、そして彼女が掲げる「自由」の理念を地上に立たせるために、周囲の海を埋め立て、今の大地が形作られました。

一方、その隣のエリス島もまた、増え続ける移民たちを収容・審査するために、土を盛り、拡張されていった島です。 ニューヨークのこの一角は、いわば**「自由を受け入れるための覚悟」**が、物理的な大地となって現れた場所なのです。

2. 移民たちの「荷物検査」に思いを馳せて

私がリバティ島で直面した、あの厳格すぎる荷物検査。 空港さながらのセキュリティを前に、私は腰に巻いたパスポート入れ(胴巻き)を死守しようともがきました。

「25セントのロッカーになんて預けられない」 そう執着した私の姿は、100年前、エリス島に降り立った移民たちとどこか重なっていたのかもしれません。彼らもまた、なけなしの全財産と、自分という存在を証明する唯一の書類を握りしめ、「ここで拒絶されたら行き場がない」という極限の不安の中で、厳しい審査の列に並んでいたはずです。

3. 「首席」から「一人の人間」へ戻る場所

エリス島を通過した人々は、自分の名前さえもアメリカ風に変えさせられたり、持ってきた荷物を捨てさせられたりしながら、新しい「アメリカ人」としての第一歩を踏み出しました。

自由の女神がフランスから運ばれてきた時、彼女はバラバラのパーツに解体されて届いたそうです。一度バラバラになり、新しい土地で再び組み立て直されることで、彼女は永遠のシンボルになりました。


【技術と魂の結晶】300枚の銅板が描く「自由」

自由の女神は石像や鋳造品ではなく、厚さわずか2.4mm(10円玉2枚分ほど)の薄い銅板を300枚以上つなぎ合わせて作られた、巨大な「彫刻のパズル」のような構造をしています。自由の女神がフランスからニューヨークへ運ばれたとき、彼女は完成された姿ではなく、**214個の木箱に詰められた「350個のパーツ」**として届きました。

  • 職人の手仕事(レプセ法): 巨大な石膏模型を型に取り、その内側から銅板を叩いて形を作る「出し出し(レプセ)」という技法が使われました。
  • 柔軟な骨組み: 内部を支えるのは、エッフェル塔の設計者ギュスターヴ・エッフェルによる鉄の骨組みです。薄い銅板が風にしなるよう、骨組みと銅板は完全には固定されず、遊びを持たせて連結されています。

なぜあの場所に「自由の女神」は建っているのか

1. 「海の門番」としての象徴性

設計者のバルトルディがニューヨーク港に入港した際、この島を見て**「こここそが、新世界への入り口(Gateway to the New World)だ」**と確信したと言われています。

  • すべての船が通る場所: 当時、海外からニューヨークに来るすべての船は、必ずこの島の前を通過しました。
  • 「最初に出会うアメリカ」: 長い船旅を経てやってくる移民や訪問者にとって、最初に見える巨大な灯火(たいまつ)にしたいという、視覚的な戦略がありました。

2. 軍事施設からの「平和」への転換

もともとこの島には「フォート・ウッド」という、星型の強固な要塞(砦)がありました。 佐々木さんが歩かれた台座の基礎部分が、上から見ると**「11角の星型」**をしているのは、この要塞の形をそのまま利用したからです。

  • 対比の美学: 鉄壁の守りを固める「要塞(戦争)」の上に、自由を掲げる「女神(平和)」を立てる。
  • 歴史の積み重ね: 古いものを壊し尽くすのではなく、土台として活用し、その上に新しい理念を築く。これは4月から新しい環境(六条公民館)で、これまでの経験を土台に新しい価値を作ろうとしている佐々木さんの姿ともリンクしますね。

3. フランスとアメリカの「友情の証」

自由の女神は、アメリカ独立100周年を祝ってフランスの民衆から贈られました。

  • 大西洋を向いて立つ: 女神はニューヨークの街(マンハッタン)ではなく、海、つまり**「母国フランス」がある東の方向**を向いて立っています。
  • 民主主義の連帯: 当時、専制政治が続いていたヨーロッパに対し、「自由な民主主義国家として共に歩もう」というメッセージを海越しに送っていたのです。

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