仕事があるだけで恩の字、のはずなのに。50代の再就職でつきまとう「割り切れない私」の愛おしさ

仕事があるだけで恩の字だったのに・・・

人生の転換期を迎え、新しい一歩として再就職やパートタイムでの仕事を始めるとき、私たちは「雇ってもらえるだけで有難い」「仕事があるだけで恩の字」という、切実で謙虚な祈りのような気持ちを抱くものです。

「贅沢は言わない。居場所があるだけでいい」

そう思って必死に求職活動のドタバタを乗り越えたはずなのに、いざ新しい日々が始まると、心の中に別のドロドロとした感情が湧き上がってくることがあります。

「任される仕事が単純な作業ばかりで、なんだかつまらない」

「自分のやり方ならもっとうまくできるのに、ただ指示に従うだけなんておもしろくない」

果ては、お茶出しのようなちょっとした雑務を求められただけで、カチッと胸の奥が波立つ。

そんなとき、「仕事があるだけで恩の字と言っていた舌の根の乾かぬうちに、今度は内容や処遇に文句を言うのか」と、自分の強欲さや浅はかさに、がっかりしてしまうことはないでしょうか。

でも、どうか自分を責めないでください。その「割り切れなさ」や「もがき」は、あなたがこれまで人生と仕事にどれほど誠実に向き合い、誇りを持って生きてきたかという、何よりの証拠なのです。

私たちは「ロボット」にはなれない。もがく自分を、まずは認めよう

「ライスワーク(生計のための労働)と割り切って、淡々と働けばいい」

言葉で言うのは簡単です。頭ではその合理性が痛いほど分かっているからこそ、割り切れない自分に腹が立つのです。

しかし、私たちは感情を持った生身の人間です。これまでのキャリアで培ってきたノウハウ、修羅場をくぐり抜けてきた自負、そして「もっと良くしたい」という純粋なエネルギー。それらを新しい職場に足を踏み入れた瞬間に、綺麗さっぱりゼロにリセットすることなど、できるはずがありません。

  • 周囲の打ち合わせや意思決定のプロセスが横目で見えているのに、自分は一歩引いた場所で清書や雑務をこなしているとき。
  • 年下の指示に「はい、はい」と従いながら、心のどこかで「私のやり方のほうが……」と欲が頭をもたげるとき。

そこで感じる「悔しさ」や「物足りなさ」は、あなたのわがままではなく、あなたの中にまだそれだけの「プロフェッショナルとしての命の火」が消えずに燃えているという事実そのものです。

まずは、「ああ、私はまだ、自分の力で何かを成し遂げたい熱量を持っているんだな」「それだけ一所懸命に生きてきたんだな」と、その泥臭い感情をそのまま抱きしめてあげてください。

仕事で「自己実現」している人が、眩しく羨ましく見える夜に

そうは言っても、自分のこだわりを仕事に反映させて生き生きと輝いている人を見ると、単純に「羨ましいな」と胸がチクリと痛むものです。

なぜ、あの人はあんなに楽しそうなのに、私はここで牙を抜かれたように淡々と作業をしているのだろう――。

確かに、仕事と自己表現が100%一致している生き方は美しく見えます。しかし、少し冷徹にその内情を眺めてみると、組織や社会の中で「自分のやり方を通す」ためには、私たちが目にする華やかなハイライトの裏で、膨大なコストが支払われています。

失敗したときの逃げ場のない重い責任、胃が痛くなるような社内政治や泥臭い人間関係の調整、そしてプライベートや心身の健康を削ってでも仕事に没頭せざるを得ない境界線の曖昧さ。

好きなことで輝く人は、それらの「重いリスクとコスト」を毎月、血を流しながら支払い続けています。私たちはその果実の甘い部分だけを見て、隣の芝生を青く感じているのかもしれません。

静かな「諦念(あきらめ)」がもたらす、本当の心の自由

ここで一つ、大人だからこそ選べる「賢い選択」があります。それは、職場での自己実現を、静かに、そして戦略的に「あきらめる」という選択です。

「諦念(ていねん)」という言葉は、一見ネガティブに聞こえるかもしれません。しかし仏教的な語源をたどれば、それは「真理を認め、明らかに見極める」という意味を持ちます。

今の職場の構造(勤務年数や前例が絶対である空気など)をいくら恨んでも、そこで自分のやり方を通そうと抗うことは、大切な心のエネルギーを無駄に消耗するだけです。ならば、「ここでは私の自己表現は行わない」と、清々しくあきらめてしまう。

この「諦念」を受け入れた瞬間、驚くほどの自由が手に入ります。

割り振られた単純作業やお茶出しは、あなたの人間性や過去の実績を否定するものではありません。ただの「時間を切り売りして、確実なお金をもらうためのシステム利用料」です。頭も心も1ミリも痛まない省エネ業務だからこそ、ミスなくマシーンのように淡々とこなせば、定時になった瞬間に、あなたは「100%完全な自由の身」として解放されます。

職場の外にある「聖域」で、あなたの欲を爆発させる

仕事で自己表現ができないことは、人生の敗北では決してありません。むしろ、「日中は一切傷つかない安全な場所で原資(給料)を確保し、本番は家に帰ってから行う」という、極めて賢利な二毛作の生き方です。

職場に認めてもらえなかった「自分のやり方」や、もっと面白いことをしたいという情熱は、あなたが100%の支配権を持つ場所――例えば「個人のブログ運営」や、誰にも邪魔されない「あなただけのライフワーク」――へ、すべてスライドさせて投資しましょう。

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誰の顔色をうかがう必要もなく、周囲の目を気にすることもない。そこは、あなたが王様になれる完全な聖域です。

日中の職場で感じる「おもしろくなさ」や「割り切れなさ」は、決して無駄な感情ではありません。それらはすべて、夜や週末に自分の聖域でペンを執り、自立へ向けて進むための、最も純度の高いガソリン(反発エネルギー)に変わります。

まとめ:もがきながら、大人のスタンスを築いていく

「仕事があるだけで恩の字」という初心も、「自分のやり方でやりたい」という未練も、どちらも偽りのない、あなた自身です。もがき、揺れ動きながら、私たちは少しずつ「大人のちょうどいい諦め方と、新しい攻め方」を学んでいきます。

今の職場は、あなたの情熱を捧げる場所ではなく、あなたのライフワークを支えてくれる「静かなパトロン」です。

「ここでは静かに牙を隠し、安全に原資をいただく。本当の戦場は、別の場所にある」

そんな少しの諦念と、秘めたるプライドを胸に、明日のルーティンもスマートに、淡々とやり過ごしてまいりましょう。あなたのそのもがきこそが、同じように悩む誰かの心を救う、温かい避難所になるのですから。

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