「ちゃんとした格好」を求めるほど、人は地域から離れていく

以前、職場でこんな話を聞いた。

学校関係の会議に、PTAの役員がTシャツで来ていたという。

「いったい、何を考えているんだろう」

そんな話になり、別の人からは、

「厳しい体育会系の部活をやっていないからでしょうね」

という言葉も出た。

そのとき私は、「たぶん、社長に会う、取引先に会う、といったときのような緊張感はなくて、校長が出席する会議でも、そこまで改まった感覚がないんでしょうね」と答えた。

その場では、それで話は終わった。

けれど、あとになって、どうも引っかかった。

私は、Tシャツが会議にふさわしいかどうかを問題にしたいわけではない。

では、何がそんなに引っかかったのだろう。

考えているうちに、少しずつ見えてきた。

私たちは、人をいったい何で評価しているのだろう。

「ちゃんとした服装」と「ちゃんとした人」は同じではない

もちろん、服装がどうでもいいとは思わない。

その場に合わせた服装はあるだろうし、相手に不快な思いをさせないよう配慮することも必要だ。

組織によっては、服装のルールが決められていることもある。

だから、「Tシャツでも何でもいい」という話ではない。

問題は、その先にある。

「その服装が、その場にふさわしいか」ということと、

「その服装をしてきた人が、どういう人なのか」ということは、本来、別の話ではないだろうか。

Tシャツを着ている。

だから、会議を軽く考えている。

だから、相手を尊重していない。

だから、地域活動にも真剣ではない。

そこまで一気に結びつけてしまうと、服装という一つの情報から、その人の内面まで決めつけていることになる。

「校長が来るから、きちんとする」の違和感

そして、今回のことで私がもう一つ考えたのは、「上下」ということだった。

「体育会系の部活をやっていないから、上下関係がわからない」という意味で言ったのだろう。

たしかに、体育会系の文化では、先輩・後輩、上級生・下級生、指導者・選手など、明確な上下関係がある。

目上の人にはきちんとする。

先輩には礼を尽くす。

そうしたことを身につける場でもあるのだろう。

でも、それをそのまま地域活動やPTAに持ち込んでいいのだろうか。

校長には校長としての立場と責任がある。

PTA会長にはPTA会長としての立場と役割がある。

立場は違う。

けれど、「校長が上で、PTA役員が下」という関係ではないはずだ。

どちらも、子どもを取り巻く環境をよりよくするために、それぞれの立場から関わっている。

そう考えれば、私はむしろ「子どもを挟んで、それぞれの立場から協力する対等な関係」と考えるほうが自然ではないかと思う。

もちろん、校長への敬意はあっていい。

年長者への配慮もあっていい。

けれど、

敬意と上下関係は、同じものではない。

地域活動に「上下」を持ち込むということ

私は以前から、地域活動や子どもを取り巻く活動の中に、「年長だから」「役職が上だから」「昔からいるから」ということが、あまりにも当然のように持ち込まれていることに違和感があった。

年齢が上であることと、その人の意見が正しいことは別だ。

地域に長くいることと、その人が地域のことをより深く考えていることも別だ。

役職が上であることと、人間として上位にあることも別だ。

それなのに、いつの間にか、

「若い人はまだわかっていない」

「新しく来た人はまずこちらに合わせる」

「年長者を立てるのが当然」

という空気ができてしまう。

もちろん、経験のある人から学ぶことは大切だ。

でも、経験と上下関係は違う。

年齢と権威も違う。

私は、ここを混同してしまうことが、地域活動を窮屈にしているのではないかと思う。

なぜ人は「服装」で人を判断するのだろう

では、なぜ私たちは、Tシャツを見て「この人は大丈夫なのか」と思ってしまうのだろう。

たぶん、人の内面は見えないからだ。

その人が何を考えているのか。

どんな思いで、その場に来ているのか。

仕事や家庭の時間をやりくりして、どういう気持ちで地域活動に参加しているのか。

そんなことは、Tシャツを見ただけではわからない。

一方で、服装はすぐに目に入る。

挨拶も、言葉遣いも、姿勢も、すぐに判断できる。

だから私たちは、見えるものを使って、人を評価してしまう。

「ちゃんとした服装をしている」

「きちんと挨拶をする」

「目上の人には丁寧に接する」。

こうしたことは、確かに一つの手がかりにはなる。

でも、それはあくまで手がかりだ。

評価しやすいものと、評価すべきものは、必ずしも同じではない。

そこを取り違えると、服装がその人自身の評価になってしまう。

しかも、「ちゃんとした服装」は誰の基準なのか

考えてみれば、「ちゃんとした服装」というもの自体、絶対的な基準ではない。

私たちが会社の社長や取引先に会うなら、スーツを着る。

そう思っていたとしても、今はTシャツやジーンズで働く会社もある。

会社の文化も違えば、業界も違う。

時代も違う。

つまり、「ちゃんとした服装」は、誰にとっても同じではない。

それなのに、自分の中にある「ちゃんと」を、いつの間にか世の中の共通ルールのように扱ってしまう。

そして、その基準から外れた人を見ると、

「この人はちゃんとしていない」

と判断してしまう。

今回のTシャツの話も、結局はそこなのかもしれない。

「自分はいいけれど、他人はだめ」になっていないか

さらに、今回少し気になったことがある。

「厳しい体育会系の部活をやっていないからでしょうね」と言ったその人自身も、普段からTシャツやトレーニングウェアで仕事をしている。

もちろん、それ自体が悪いわけではない。

暑いのだから、動きやすい服装をすることもあるだろう。

だからこそ、余計に考えてしまった。

自分がTシャツを着ることは自然なのに、他人がTシャツを着ていると「いったい何を考えているんだ」となる。

それは本当に「服装の問題」なのだろうか。

もしかすると、私たちは知らないうちに、

自分には寛容で、他人には厳しい物差し

を持っているのではないだろうか。

地域から人が離れていく理由

地域活動は、仕事とは少し違う。

参加する人の多くは、本業が別にある。

家庭もある。

自分の生活もある。

その中で、子どものために、地域のために、と時間をつくって参加する。

そんな人たちに対して、

服装はこうあるべき。

挨拶はこうあるべき。

年長者にはこう接するべき。

役職者にはこうするべき。

会議ではこう振る舞うべき。

そうした「べき」が一つずつ積み重なっていったら、地域活動への入り口はどんどん狭くなる。

もちろん、最低限のルールや礼儀は必要だ。

でも、地域活動に必要なのは、「正しい型を身につけている人」だけなのだろうか。

Tシャツの人にも、その人なりの事情があるかもしれない。

その人なりの思いがあるかもしれない。

そして何より、その人もまた、子どもたちのために何かをしようとしている一人かもしれない。

そのことは、Tシャツには書いていない。

敬意は必要。でも、上下は必要なのだろうか

今回の出来事を考えていて、私は「Tシャツが失礼だったか」という問いから、少し離れてみたくなった。

服装がその場にふさわしかったかどうかは、その場ごとに考えればいい。

けれど、その服装を理由に、その人の姿勢や人間性まで評価するのは違うのではないか。

そして、地域や子どもを取り巻く活動に、

「年長だから上」

「役職が上だから上」

「昔からいるから上」

という関係を、当然のように持ち込む必要もないのではないか。

立場の違いはあっていい。

経験の違いもあっていい。

敬意も必要だと思う。

でも、

敬意は必要でも、上下まで必要なのだろうか。

もしかすると、地域から人を遠ざけているのは、Tシャツそのものではない。

「ちゃんとした人」と認めてもらうために、いつの間にか増えてしまった、さまざまな物差しなのかもしれない。

そして私自身も、誰かを見たとき、

「この人はちゃんとしているか」

ではなく、

「私はいま、この人の何を見て判断しているのだろう」

と、一度立ち止まって考えてみたいと思う。

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