PTAの会議に、Tシャツで来た人を「ちゃんとしていない」と思いますか?
先日、職場でこんな話を聞いた。
PTAの役員をしている人が、学校関係の会議にTシャツで来たという。
「いったい、何を考えているんだろう」
そんな言葉が出た。
さらに、
「厳しい体育会系の部活をやっていないからでしょうね」
という話にもなった。
私はその場では、あまり深く考えなかった。
ただ、あとになって、なぜか引っかかった。
もちろん、学校との会議なのだから、ある程度きちんとした服装をする、という考え方はあるだろう。
私だって、相手や場面によって服装を変える。
Tシャツがいつでも、どこでも適切だと言いたいわけではない。
でも、私が気になったのは、Tシャツが適切だったかどうかだけではなかった。
なぜ服装ひとつから、「いったい何を考えているんだろう」というところまで、その人の人間性や態度を判断するのだろう。
そして、そこには「ちゃんとした服装」と「ちゃんとした人」を、いつの間にか同じものとして見てしまう感覚があるのではないか。
「ちゃんとした服装」と「ちゃんとした人」は同じではない
服装は、その人について分かりやすい情報だ。
スーツを着ている。
襟のついた服を着ている。
きちんと髪を整えている。
挨拶が丁寧だ。
姿勢がきれいだ。
そういうものは、目に入ってくる。
だから私たちは、ついそこから「ちゃんとしている人かどうか」を判断してしまう。
でも、本当は違う。
きちんとした服装をしているからといって、その人が誠実とは限らない。
Tシャツだからといって、相手を軽く見ているとも限らない。
服装は、その場に対する態度を判断する材料のひとつにはなる。
けれど、それだけでその人の考え方や人間性まで決めてしまうのは、少し違う気がする。
「服装として適切だったか」と、「この人はちゃんとした人なのか」は、本来、別の話なのだ。
「校長が来るから、きちんとする」という感覚
もうひとつ、私が引っかかったのは、
「校長が来るから、きちんとする」
という感覚だった。
学校という組織の中では、校長が管理職であることは当然だ。
でも、PTAの役員と校長が、地域や子どもをめぐって一緒に活動する場面では、そこに「上」と「下」を持ち込む必要があるのだろうか。
役割は違う。
責任も違う。
経験も違う。
だからといって、それがそのまま人間としての上下になるわけではない。
「役職が上だから敬う」
「年長者だから従う」
ということと、
「相手の立場を尊重する」
ということも、本当は同じではない。
もちろん、最低限の礼儀は必要だと思う。相手の立場を考えることも必要だ。でも、それと「誰が上なのか」を確認することは別の話ではないだろうか。
地域活動には、見えない「ちゃんと」が多すぎないか
こう考えていくと、Tシャツの話だけではなくなってくる。
地域活動には、実はたくさんの「ちゃんと」がある。
ちゃんとした服装で来る。
ちゃんと挨拶する。
年長者を立てる。
役職のある人には、それなりの態度をとる。
昔からいる人のやり方に合わせる。
会議ではこう振る舞う。
地域のことをするなら、これくらいは当然。
ひとつひとつを見れば、もっともらしいものも多い。
地域で一緒に活動する以上、最低限のルールやマナーは必要だと思う。
問題は、それが少しずつ積み重なったときだ。
いつの間にか、「こうするのが普通」が、「こうしない人はおかしい」に変わっていないだろうか。
新しく入る人には、その「ちゃんと」が見えない
昔からその地域にいる人にとっては、当たり前のことでも、新しく入ってきた人には分からない。
どこまでが正式なルールで、どこからが昔からの慣習なのか。
誰に先に挨拶するのか。
どの程度の服装なら「きちんとしている」と認められるのか。
会議では、誰の意見を先に聞くのか。
誰を立てなければならないのか。
そんなことは、規則に書いてあるわけではない。
けれど、知らないと「常識がない」と言われてしまうことがある。
これは、新しく地域活動に参加しようとする人にとって、かなり高い壁ではないだろうか。
「何をすればいいのか分からない」だけなら、まだいい。
「何をすると怒られるのか分からない」
となったら、参加すること自体が怖くなる。
地域活動に人が集まらない理由を考えるとき、私たちは「若い人は地域に関心がない」「忙しいから参加しない」と考えがちだ。
もちろん、それもあるだろう。
でも、「ちゃんとやらなければならないことが多すぎる」「暗黙のルールが分からない」「人間関係に気を遣う」ということも、参加する側からすれば、大きな負担になっているのではないかと思う。
「自分はいいけれど、他人はだめ」になっていないか
そして、もうひとつ気になることがある。
今回、Tシャツで来た人のことを話していた人も、普段は仕事の場でTシャツやトレーニングウェアを着ていることがある。
もちろん、場面が違えば服装の基準も変わる。
だから、それ自体を矛盾だと言いたいわけではない。
ただ、人はどうしても、
「自分のことは事情を考えて見るのに、他人のことは見えている部分だけで判断する」
ということをしてしまう。
自分がTシャツなら、
「今日はこういう事情があって」
と説明できる。
でも、他人がTシャツなら、
「この人はちゃんとしていない」
と判断してしまう。
そんなことはないだろうか。
服装に限らない。
自分が会議に遅れれば事情がある。
でも、他人が遅れれば「だらしない」。
自分が地域活動に参加できなければ「仕事があるから仕方がない」。
でも、若い人が来なければ「地域に関心がない」。
そんなふうに、知らないうちに自分と他人で違う物差しを使ってしまうことがある。
「年長だから上」「昔からいるから上」でなくてもいい
地域活動では、年齢や経験も大切だ。
長く地域に関わってきた人だからこそ分かることもある。
昔からの経緯を知っている人だからこそできる判断もある。
それは、ちゃんと尊重したい。
でも、「経験がある」ことと、「人として上である」ことは違う。
「昔からいる」ことと、「新しく来た人より偉い」ことも違う。
役職がある人には役職に応じた責任がある。
長く活動してきた人には、それだけの経験がある。
それぞれの役割に敬意を払うことは必要だと思う。
でも、敬意と上下関係は同じではない。
そこを混同すると、地域活動は急に息苦しくなる。
地域活動は、「ちゃんとした人」のためだけのものではない
地域活動に参加する人は、地域活動だけをして生きているわけではない。
仕事がある。
家庭がある。
親のことがある。
自分の生活がある。
休日くらいは休みたい、という人もいる。
それでも、何かのきっかけで、
「ちょっと地域のことをやってみようかな」
と思って来てくれる人がいる。
その人に、
服装はこう。
挨拶はこう。
年長者にはこう。
役職者にはこう。
会議ではこう。
昔からのやり方にはこう合わせる。
……と、「ちゃんと」の条件を次々に提示したらどうなるだろう。
もちろん、何でも自由でいいとは思わない。
地域には地域のルールがある。
相手への配慮も必要だ。
けれど、参加するために「正しい人」にならなければならないとしたら、入口はどんどん狭くなる。
Tシャツで来た人にも、もしかしたら、その人なりの事情があったのかもしれない。
服装はラフでも、子どもたちのことを真剣に考えているのかもしれない。
地域のことに関わろうと思って、そこに来ているのかもしれない。
私たちが本当に見るべきなのは、そちらではないだろうか。
「ちゃんとした人」を求める地域ほど、人が離れていく
「ちゃんとする」ことそのものが悪いわけではない。
むしろ、社会で暮らしていくためには必要なことも多い。
問題は、「ちゃんとしていること」が目的になってしまうことだと思う。
服装がちゃんとしている。
挨拶がちゃんとしている。
立ち振る舞いがちゃんとしている。
昔からのやり方を守っている。
そういう「形」を守ることに一生懸命になると、本来の目的を忘れてしまう。
地域活動は、何のためにあるのか。
子どもたちのためなのか。
地域で暮らす人たちのためなのか。
困ったときに支え合うためなのか。
人と人がつながるためなのか。
もしそうなら、「ちゃんとした人」だけを集めることが目的ではないはずだ。
むしろ、いろいろな人が参加できる余白を残しておくことのほうが大切なのではないかと思う。
Tシャツで来る人がいてもいい。
地域に初めて来る人がいてもいい。
これまでのやり方を知らない人がいてもいい。
若い人が「それって、なぜですか」と聞いてもいい。
年長者が教えることもあれば、新しく来た人が新しいやり方を持ち込むこともある。
そのほうが、地域は長く続いていくのではないだろうか。
「ちゃんとした人」をつくることより、
「いろいろな人が入ってこられる場所」をつくること。
地域に必要なのは、もしかすると、こちらなのかもしれない。
私はいま、この人の何を見て判断しているのだろう
今回のTシャツの話で、
「Tシャツで来るのは失礼なのか、失礼ではないのか」
という答えを出すことは、それほど難しくない。
場面によっては、服装を考えたほうがいいこともある。
それはそれでいい。
でも、そこで終わらせたくない。
私自身も、人を見た目で判断していることがある。
年齢で見ているかもしれない。
肩書きで見ているかもしれない。
服装で見ているかもしれない。
「ちゃんとしているかどうか」で、人を測っているかもしれない。
だから、ときどき立ち止まってみたい。
私はいま、この人の何を見て判断しているのだろう。
服装なのか。
年齢なのか。
役職なのか。
これまでの経験なのか。
それとも、本当に見るべき、その人の言葉や行動なのか。
地域から人が離れていく理由は、「地域に関心がないから」だけではないのかもしれない。
もしかすると、私たちが知らないうちに、
「ちゃんとした人でなければ、ここには入りにくい」
という空気をつくってしまっているのかもしれない。
そう考えると、「ちゃんとする」ことについて、もう一度考えてみたくなる。

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