袋叩きにされた夜。つぎの朝どうするか

暮らしを整える

―職場で厳しく叱責され、「辞めたい」と思った私が翌朝考えたこと

職場でひどく叱られた夜。「もう辞めたい」と思ったことはありませんか。私は、つい先日それを経験しました。

二人から同時に厳しく叱責され、帰宅して夫に話すと「もう辞めろや」と言われました。

その言葉に救われながらも、翌朝、私は普通に仕事へ向かいました。

なぜか。

その夜に人生の結論を出さないほうがいいと思ったからです。

発端は会議での質問だった

職場で二人から同時に厳しい叱責を受けた。

発端は一週間後に控えたイベントの会議だった。

私は会議の途中でひとつ質問をした。

運営について分からないことがあったからだ。

しかし返ってきたのは、

「前の資料に書いてあったぞ」

「お前だけや、分かってないのは」

「みんなの前で聞くなんて身内の恥さらし」

という言葉だった。

私は資料を十分読み込めていなかったことは認める。

実際、その通りだったからだ。

謝罪すればそこで終わると思った。

しかし終わらなかった。

いつの間にか半年分の話になっていた

その後、話はどんどん広がっていった。

「全然聞きに来ない」

「半年間ずっとそんな調子や」

「一生懸命やると言ったんじゃないのか」

「一度もいい返事をして仕事をしない」

さらには、

「いつまでも前の職場の気分でいる」

「定時に帰ることしか考えていない」

「給料だけ当たればいいんやろ」

にまで発展した。

途中から私は、

何について叱られているのか分からなくなった。

資料の話なのか。

質問の話なのか。

態度の話なのか。

それとも人格の話なのか。

「分からないことが分からない」―経験のない仕事では、質問すること自体が難しい

後から考えると、私にも反省点はある。

資料を読み込んでいなかった。

確認不足だった。

ただ一方で、私は今回のイベントを初めて経験する立場だった。

経験したことのない仕事には独特の難しさがある。

それは、

「分からないことが何なのか分からない」

ことである。

問題点が見えていれば質問できる。

しかし見えていない問題は質問すらできない。

私はおそらく、分かったつもりでいたのではない。

分かっていない箇所の存在そのものに気付いていなかったのだ。

そして会議のその場で初めて、「あれ?」と気付いた。

その瞬間、私は質問した。それがまずかったのかもしれない。

だが、あの時の私は本当にその場で初めて気付いたのだ。

愚痴を聞いてくれる人がいてよかった

その夜、私は夫に散々愚痴を聞いてもらった。

夫は言った。

「もう辞めろや」

そして、一晩明けて私が支度をしていると、

「無理して仕事行かなくていいぞ」

とも言ってくれた。

正直に言うと救われた。

行かなくてもいい。

そう言われたからこそ、逆に出勤する気になれた。

身体は正直だった

叱責の翌朝は胃が何となく痛かった。ストレス性かもしれないと思った。

午前中はたまたま一人在庁勤務だった。特に異変もなく、来客はあるものの「マイペース」ですごすことができた。

しかし、昼前に上司が事務所へ入ってきた時、少しだけ息苦しくなった。

人間関係のストレスは、まず身体に出る。

これが何週間も続けば、人によっては鬱になるだろう。

パニック症状が出ても不思議ではない。

私はそう思った。

窮地でやってはいけないこと―職場で叱責された直後に退職を決めない

そんな状態で考えていた。

辞めるべきか。

続けるべきか。

話し合うべきか。

謝るべきか。

しかし今思う。

窮地に立った時に一番危険なのは、その場で人生を決めてしまうことだ。

私には一週間後に大きなイベントがある。まずはそれを終わらせる。

辞めるか。

続けるか。

戦うか。

話し合うか。

それはイベントが終わってから考えても遅くない。

必要なのは結論ではなく時間

窮地に立つと、人はすぐに結論を出したくなる。

自分が全部悪かったと思いたくなる。

相手が全部悪いと思いたくなる。

会社を辞めたくなる。

しかし本当に必要なのは結論ではない。

時間だ。

一晩寝ること。

信頼できる人に話を聞いてもらうこと。

事実と評価を分けること。

少し距離を置くこと。

それだけでも景色は変わる。

最後に

今回の件で学んだことがある。

「なぜ聞かなかった」

と叱られることがある。

しかし、人はしばしば聞かなかったのではない。

何を聞けばいいか分からなかったのである。

経験のない仕事ほどそうだ。

分からないことが分かっていれば、もう半分は解決している。

本当に厄介なのは、その手前の状態だ。

だから窮地に立った時、まずするべきことは自分を裁くことではない。

まずは生き延びること。

それからゆっくり考えればいい。

あの出来事から、私は「自分のコミュニケーションの取り方」にも原因があったのではないか、と考えるようになりました。
そのことについては、次の記事で書いています。

→ コミュ障かもしれないと思ったら。職場で気づいた「話せない」と「話し方が違う」の違い

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