雪かきが融かす心の境界線。場所を失っても枯れない「学びの芽」の育て方

形あるものは、いつか変わる

形あるものは、いつか変わります。 慣れ親しんだ組織、通い慣れた建物。そんな「箱」を失いかけるとき、私たちは足元が心許なくなるような、言いようのない孤独を感じることがあります。

けれど、先日参加した「持続するコミュニティ」をテーマにした交流学習で、その不安を払拭するような「光」に出会いました。

境界線を溶かしたのは、一本のスコップ

この研修のメインの話題にのぼったのは、地域のまつり。形を少しずつ変えながら長く続いている、しかも20代30代という若い世代が担っている。という営みはとても興味深いものでした。

 そして、そこで、わたしはかつての実行委員の方の過去の記事に興味を持ったのです。

 その記事によれば、彼の住む地区という近隣にありながら、歴史や政治の壁に阻まれ、一度も足を踏み入れたことのない、近くて遠い存在だった「学校」との交流ができたとのことでした。その方法は、地域の仲間との大雪の除雪だったといいます。

「雪で困っている隣人がいる。ただ、それだけのこと」

理屈ではなく、目の前の「雪」を一緒に掻き出すという切実な行動が、何十年も閉ざされていた心の門を開き、たとえひと時とはいえ交流が生まれたというエピソードです。言葉も背景も違うかもしれないけれど、同じ雪国に生きる隣人としてこれこそが、「多文化共生」の本当の姿だと実感しました。

 そこには、特別な「箱」や「お膳立て」がなくても、人は困りを通じて、純粋に繋がることができるということを私に教えてくれました。

「形」は変わっても、「種」は死なない

東郷地区で受け継がれる「おつくねまつり」もまた、変化しながら続くコミュニティの象徴です。 時代に合わせて姿を変え、関わり方を変える。大切なのは「昔と同じ形を維持すること」ではなく、それを通じて「今を生きる人たちが、どう響き合うか」にあります。

建物としての学校が静まり返っていても、あるいは自分が所属する場所が変わっても、そこで育まれた「学びの芽」が枯れることはありません。

「箱」がないからこそ、自由になれる

私たちはつい、「どこかに属している自分」に安心を求めてしまいます。しかし、物理的な「箱」を失うことは、実は**「自分の心がけ一つで、どこへでも行ける自由」**を手に入れることでもあります。

  • 知らない場所へ、一歩踏み出してみる。
  • 目の前で困っている人に、声をかけてみる。
  • オンラインの小さな集まりに、勇気を出して参加してみる。

社会教育の本質は、立派な施設の中ではなく、こうした「小さな関わり」の連続の中にあります。

おわりに:あなたの「雪かき」は何ですか?

場所がないことを嘆くより、今、自分の目の前にある「雪」に目を向けてみる。 自分にできる小さな手助けや、素直な対話の種をまくこと。その心がけさえあれば、どんな場所もあなたの「学び舎」に変わります。

今日は、少しだけ視線を上げて、隣の誰かの「困りごと」に耳を傾けてみませんか?

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