「なぜ学んだのか」を問われる不条理
「なぜ、その年齢で、そこまでして学ぼうと思ったのですか?」
再就職の面接の場で、私はその問いを突きつけられました。 資格のためでも、昇進のためでもない。ただ、目の前の実務を体系的に理解したかった。その時々で必要だと感じた知を求めて、学びの場へ足を運んできた。自分の中では一本の線でつながっている歩みが、効率を重視する他者の目には「説明を要する不思議な行動」として映る事実に、私は言葉を失いそうになりました。
一度社会に出てからの学びが、なぜこれほどまでに「説明責任」を伴う特殊なものとして扱われてしまうのか。日本の労働市場が抱える「学び」への猜疑心に、私は強い違和感を抱かざるを得ませんでした。
泥水を飲むような屈辱を飲み下して
今回の再就職活動で私が味わったのは、味気ない砂を噛むような虚しさではありませんでした。それは、生き延びるため、そして自分が信じてきた領域で踏みとどまるために、濁った屈辱を飲み干すような「泥水を飲む」経験でした。
「大人しく、波風を立てずにしがみついていればよかったのか」
正直に言えば、そんな後悔がよぎる瞬間もありました。 違うと思ったことに「違う」と言い、自分の信念を曲げずに声を上げた結果、待っていたのは組織からの排除であり、厳しい現実でした。一度は不採用を突きつけられた場所へ、プライドを押し殺して再び願書を出す。その痛みを、なんと表現すればよいのでしょうか。
黙っていては分からなかった「厳しさ」という収穫
しかし、泥水を飲み干してまで戦い抜いたこの2か月で、私は何物にも代えがたい「厳しさ」と「自分の芯」を学びました。
黙っていては分からなかった、社会の非情さと、その裏側にある自分の強さ。 屈辱に顔を歪めた分、シワは増えたかもしれません。でも今、不思議と心にあるのは、新しい一年への清々しいほどの決意です。
読者の皆さんに、私は「私のようにならないで」と言いたいのかもしれません。自分を殺して、静かに組織に馴染むほうが、きっと平穏な道だったのでしょう。けれど、自分を貫いたからこそ得られた今の景色は、何にも代えがたいものです。
選ぶのは、自分。その先にある色鮮やかな日常
「選ぶのは、自分」
その覚悟を持った者だけが見られる、色鮮やかな世界がたしかにあります。 泥水を飲み干した後に飲むコーヒーの味。久しぶりに思い切り踊れるダンスの楽しさ。そして、待ちに待った旅に出られる喜び。
理不尽な壁にぶつかり、泥をすすりながらも、私は自分の足で立ち続けることを選びました。新しい生活が始まる今、これまでの苦しみさえも、自分を彩る大切な欠片(ピース)であったと感じています。
組織の物差しで測れないあなたの「学び」や「哲学」は、時に周囲を困惑させ、あなた自身を孤独にするかもしれません。
でも、その削りきれない個性こそが、あなたを他の誰でもない「個」として輝かせる源泉です。履歴書には書ききれないあなたの声を、自分だけの場所に蓄積してみませんか。組織の評価に依存しない「自分の城」を持つことが、不条理な社会を生き抜くための最強の盾になります。
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「一度は否定されたと感じた場所から、あえて同業の新しいフィールドへ。それは、私自身が『ゼロ』に戻るために選んだ、逃げないための道です。
4月からの再始動を前に、私は今、マンハッタンの風に吹かれに行きます。荷物はパンパン。でも、心は少しだけ軽くなりました。」
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