「遊ぶための労働」が、自分を縛り付けていないか?60代、職業人生の終わり方を考える

「第2、第3の人生」での働き方改革

定年制度という「強制的な終わりの線」がなくなった今、私たちはどう働き、どう人生を終えるべきなのか。遊ぶために働いているはずが、仕事に追われて時間がないという本末転倒。60代からの「引き際」と「人生の再設計」について考えます。

定年という「強制終了」の喪失感と解放感

わたしはかつて、フルタイムで40年余り働いてきました。当時は育児休暇もなく、途切れたことは、産前産後の3か月弱、病気入院の数週間くらいでした。

そして迎えた定年。その時は再任用を希望しましたがかなわず、ちょっと残念に思いました。しかし、今冷静になって考えてみると、定年という制度は、ある意味で「逃げ切り」を許してくれた温かい強制終了だったのではないかと思えます。

定年後の仕事との付き合い方

というのも、私は定年から、再び「途切れることなく」再就職、その職場の更新がかなわなかったときでさえ、ハローワークに何回も通い、これまたとぎれることなく再々就職をしたからでした。

ふと、自分の「働き方」を振り返ると、定年がなくなり、自由に働けるようになった今、逆に「どこまで、いつまで働くか」という出口のない迷路に迷い込んでいる現状に愕然とするのも事実です。

本末転倒な毎日

 最近、とても魅力的な連続講座の案内をみつけました。

受講料はとても簡単には踏み込めないくらいまとまったお金ではありますが、これまでの私のもやもやを整理できそうな内容で飛躍する自分がイメージできました。

しかし、大きな壁があることにきづきました。

なんと5回の連続講座のうち、すでに3回が勤務で参加できないことがわかったからです。

ここでわたしはふと「あれ?私って働き続けて果たして幸せなの?」という問いに直面したのです。

本来の目的は「自由な時間と、それを楽しむための資金」だったはず。

しかし現実は、働くことで時間を削り、その結果、楽しむための「余白」が消滅している。いったい、「なんのために働いているんだっけ?」という自問自答がわくのも自然なことでした。

職場という「変わらない現実」の正体

職場環境や人間関係の不条理は、時代が変わっても驚くほど変わらないものです。

そこに自分の意見を通そうとしたり、改善を試みたりするのは、実は最もエネルギー効率の悪い投資ではないか、とうすうす考えるようになってきました。

人生後半戦の「損切り」戦略

仕事は、「生きがい」でもありますので、メリットもたくさんあることは事実です。ただ、あまりに「ねばならない」という向き合い方は私たち中高年になってからは考えたほうがいいのかもわかりません。

仕事は「淡々とこなす事務作業」と割り切る(心理的損切り)。こんなこともだんだんやっていった方が結局は楽になれるのでしょうね。そして、空いたエネルギーを、自分でコントロールできる活動(研究会やブログ、学び)に全振りする。そんなことも、もう誰にも遠慮せずに自分で決めていいのではないでしょうか。

職業人生の「幸せな終わり方」とは、組織の中でどう振る舞うかではなく、自分が自分の人生の主導権をどれだけ握れているかで決まると思います。

今日からの「小さな抵抗」

いろいろなことに気づく今日この頃ですが、完璧に働くことをやめ、自分のための時間を「贈り物」として確保する。働かない贅沢ではなく、「自分で選んで働かない(休む)贅沢」を、今日から少しずつ実践していく。

そんな向き合い方もこれからは選んでいきたいものです。

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