なぜか足が遠のいていた「数年ぶりの同窓会」
先日、数年ぶりに高校のクラス同窓会へ参加してきました。
私の高校時代は、クラス40名のうち女性はわずか10名ほど。今回の参加者のうち女性は私を含めてたったの2名でした。中には遠方から日帰りで駆けつける熱心な参加者もおり、毎年マメに連絡調整を続けてくれる幹事の方には頭が下がる思いです。
それにもかかわらず、これまで私の参加率は決して高くありませんでした。
- 旧盆の時期は家族の帰省準備などでバタバタしていること
- カレンダー通りの勤務で仕事の都合がつきにくいこと
こうした物理的な理由もありましたが、何より一番の理由は「高校時代の記憶が薄く、みんなが盛り上がっている思い出話についていけないこと」でした。自分が覚えていないエピソードを楽しそうに語られるたび、どこか寂しさと肩身の狭さを感じ、自然と足が遠のいていたのです。
肩の荷が下りた「探り合いのない空間」
しかし昨日は、「なんとなく行ってみようか」という軽い気持ちで、遅れた時間帯でしたが参加してみることにしました。
会場に着いて感じたのは、以前とは明らかに違う空気感です。 全員が65歳を迎え、多くがリタイアしているか、肩の力を抜いてゆるやかに働いている年齢。現役時代のころのような、役職や職業、家庭環境を互いに「探り合う」ような独特のピンと張り詰めた雰囲気は、綺麗に消えていました。
記憶の抜け落ちていた思い出話も、今の落ち着いた年齢の彼ら・彼女らとなら、「全然覚えてないや」と笑って受け流すことができました。
会場では、自身が関わっている地域の活動やイベントのチラシを渡す機会にも恵まれ、近況の活動の報告への心地よい応援と関心をもらうことができたのも、予期せぬ嬉しい出来事でした。
人間関係は「横の広がり」だけではない。「時間軸をさかのぼる」という発見
これまでの人生で新しい人間関係を築くとき、私はずっと「いま、目の前にいる人たちとどう繋がるか」という、いわば「横の面(エリアや領域)」ばかりを意識してきました。過去の人間関係をもう一度たどり直すような、「時間軸をさかのぼる」作業はほとんどしてこなかったのです。
しかし同窓会で、深く実感したことがあります。
青春時代の数年間、同じ空間で「無条件(嫌応なし)に一緒に過ごした」という事実は、自分でも思っていた以上に、心の片隅に深く刻印されていたのだということです。
社会に出てからの関係には、どうしても立場や損得、役割がついて回りがちです。けれど、10代の頃にただそこに一緒にいただけの存在というのは、時を経てお互いの尖った部分が丸くなったとき、驚くほど純粋で安全な「心の安全基地」になってくれるのだと気づかされました。
過去の時間が、これからの自分を支えてくれる
「思い出があまりないから」「うまく話に混ざれないかもしれないから」と過去の関係から距離を置いている方もいるかもしれません。
ですが、全員が人生のひと段落を迎える60代というタイミングだからこそ、フラットな状態で再会できる良さがあります。
もし手元にずっと参加していない集まりの案内が届いていたら、少しだけ勇気を出して顔を出してみてはいかがでしょうか。さかのぼった過去の時間の中に、これからの人生を少し生きやすくしてくれる、穏やかで優しい繋がりが待っているかもしれません。

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