60代でふと気づく「いつも指示される側」のヒミツ

整える

無意識の選択を自覚し、これからの居心地を少しずつ変えていく方法

人間関係のなかで、気がつくといつも「指示をされる側」や「サブの立ち位置」に回っている――そんな経験はありませんか?

職場の人間関係だけでなく、地域の集まりや趣味の任意団体、あるいは友人関係の中でまで、いつでもその役割になってしまうと、5,60代を迎えたあたりで、ふと心に冷たい風が吹くことがあります。

「私は死ぬまで、誰かの指示を受け入れるだけの立ち位置なのだろうか」

しかしここで、一つ大切な視点があります。私たちはつい「周囲が私をこの立場に押し込んでいる」「役割を奪われている」と考えがちですが、実はそうではないのかもしれません。

アドラー心理学の視点に立てば、私たちがその立ち位置にいるのは、自分自身の「無意識」が、何らかの目的のために自ら選び取ってきた結果であると捉えることができます。

まずは「自分がこの立ち位置を決めている」と自覚する

「指示される側」でいることには、無意識にとってのメリット(目的)が必ずあります。

  • 波風を立てずに、その場の人間関係を円滑にコントロールできる
  • 決定に伴う重い責任を負わずに済む
  • 「実務ができる有能なサポーター」として、確実に歓迎され、居場所を確保できる

私たちは、こうした安心感やメリットのために、無意識のうちに自ら進んで「サブの椅子」に座ってきたのではないでしょうか。

誰かに奪われたわけではなく、自分の無意識が選び続けてきた。まずはその事実をフラットに「自覚すること」が、これからの生き方を変える真のスタートラインになります。自分で選んできたことだからこそ、これからの選び直す主導権も、すべて自分自身の手の中にあるのです。

脱却でもキャラ変でもなく、選択を「固定しない」というチャレンジ

「自分が選んでいた」と気づいたからといって、急に明日から「脱却」したり、無理に「キャラ変」をしてリーダーシップを発揮したりする必要はありません。あるいは「どうせ自分はこういう人間だ」と諦める必要もありません。

大切なのは、これまでの「サブの役割」を全否定するのではなく、「その役割を、いつでも変えられるように固定しないでおく」という、ちょっとしたチャレンジです。

これからの人生の居心地を少しずつ変えていくための、具体的な着地点をいくつか提示してみます。

着地点①:10回に1回、自分の「意思」を主語にしてみる

いつもなら無意識に「わかりました」と指示通りに動く場面で、ほんの少しだけ自分の意思を表明する隙間を作ってみます。

  • 「私はこう思うのですが、この方法で進めてみてもよろしいですか?」
  • 「今回はこちらの役割を担当してみたいです」

相手の指示を自動的に受け入れるのではなく、「私は私の意思で、あえてこの場に協力している」という自覚を持つだけで、心の持ちようは大きく変わります。

着地点②:受け身の引き受けを「部分的に卒業」する

無意識のうちにすべての依頼や指示を反射的に引き受けてしまうクセを、少しだけお休みさせてみる着地点です。

  • 「今回はここまでお手伝いしますが、来期は別の方にお譲りしますね」

すべてを断るのではなく、自分のエネルギーをどこに使うかのグラデーションを自分で決める。これも立派な選び直しの一歩です。

着地点③:誰の指示も介在しない「自分だけの聖域」を持つ

他人が介在する組織では、どうしても過去の無意識のパターン(ラベリング)に引っ張られがちです。それならば、人間関係が一切及ばない「100%自分が主役になれる場所」を生活の中に作り出すのが最も確実です。

例えば、誰にも縛られない個人の学びの時間です。そこでは、あなたがルールであり、意思決定者です。誰の指示を仰ぐ必要も、誰かの顔色を窺う必要もありません。この聖域を小さく育てることは、他人のルールに振り回されないための精神的な避難所となり、やがて小さな自立へとつながっていきます。

コップに一滴のインクを落とすように

これからの生き方は、白か黒かで決める必要はありません。「サブの役割」で周囲を支える自分の大人の配慮を認めつつも、時と場合に応じて「自分で選び直す割合」を少しずつ増やしていけば良いのです。

「私はこの立ち位置だから」と諦めて固定化してしまうのではなく、まずは「あ、今、自分は無意識にいつもの椅子に座ろうとしているな」と気づくことから始めてみませんか。

その小さな自覚と、固定しないことへの微かなチャレンジの積み重ねが、60代からの毎日に、新しい納得感と確かな手応えをもたらしてくれるはずです。

▶ あわせて読む「経験者が集まる場でのリーダー問題」

コメント