私は普及の人ではなく、チャレンジの人だった

先日、eスポーツイベントに出展した。

もともとは知り合いが主催するイベントで、「学校関係者との橋渡しをしてほしい」と声をかけてもらったのが始まりだった。

もちろん、そのお手伝いはするつもりだった。

けれど、話を聞いているうちに別の思いが湧いてきた。

「せっかくなら、私が関わっている逃げ地図のブースも出せないだろうか」

そうお願いしてみたところ、快く受け入れてもらえた。

振り返ると、この一言が今回の出展の始まりだった。

当日は予想以上に多くの来場者が足を止めてくれた。

展示方法も工夫した。

パネルの見せ方や体験の流れも考えた。

記事にはならなかったが、新聞記者の方に実際にデモを体験してもらうこともできた。

一定の成果はあったと思う。

しかし、イベントが終わってから私の頭に残っていたのは、来場者数でも反応の良し悪しでもなかった。

なぜ私は、こんなにこの準備期間が楽しかったのだろう。

そのことを考えていた。

実は私は以前、別の地域でeスポーツ事業に関わっていた。

当時はまだ珍しい取り組みだったこともあり、理解を得るのは簡単ではなかった。

「ゲームなんでしょ」

「遊びじゃないの」

そんな空気を感じることもあった。

けれど現場では違う景色が見えていた。

普段地域の行事には来ない親子が参加する。

高齢者が若い人から教わる。

世代を超えた会話が生まれる。

私はそこに可能性を感じていた。

もちろん課題もあったが、少なくともやってみる価値はあると思っていた。

ところが、その地域との関わりは途中で終わった。

私はその場所を離れることになった。

そして現在の職場では、まだ新しい提案を次々とできる立場でも環境でもない。

だから今回、自分から

「逃げ地図のブースを出したい」

と言えたことは、自分でも思っていた以上に意味があったのかもしれない。

イベントを振り返っていて、ある人から言われた言葉が妙にしっくりきた。

「あなたは普及の人ではなく、チャレンジの人なのかもしれませんね」

最初は少し笑ってしまった。

けれど、よく考えるとその通りだった。

私はこれまで、防災にも関わった。

eスポーツにも関わった。

地域活動もしてきた。

一見すると統一感がない。

しかし共通しているものがある。

それは、新しいことを試してみたいという気持ちだ。

誰もやっていない組み合わせ。

まだ知られていない方法。

異なる分野をつなぐ試み。

私は普及そのものよりも、その最初の一歩に心を動かされるらしい。

もちろん、普及活動は大切だ。

定着させる人がいなければ、どんな挑戦も一時的なものに終わる。

けれど私はどうやら、その役割が得意な人間ではない。

どちらかといえば、

「これをここに持ち込んだらどうなるだろう」

「こんな組み合わせは面白いのではないか」

そんなことを考えている時間が好きなのだ。

それは組織の中では扱いにくい性質かもしれない。

前例のないことは説明が難しい。

成果もすぐには見えない。

理解されないこともある。

実際、私自身そうした経験をしてきた。

それでも今回のイベントで改めて思った。

私はまだ、新しいことを試したいと思っている。

その気持ちは消えていなかった。

来場者数よりも、それを確認できたことのほうが大きな収穫だったのかもしれない。

eスポーツイベントの記録を書こうと思っていた。

しかし書き始めてみると、これはイベントの話ではなかった。

私は何に惹かれて活動してきたのか。

そのことを少し思い出した話だった。

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