前回、職場でかなり厳しく叱責されたことについて書きました。
その中で、私と相手とでは、同じ職場にいても見えている景色がまったく違っていたことにも触れました。
私は「仲間に入れてもらえていない」と感じていた。
一方で相手は、「どうして自分から入ってこないのだろう」と感じていた。
そして私は、以前から自分のことを「コミュニケーションが苦手な人間なのではないか」と考えていました。
今回の出来事をきっかけに、そのことをもう一度考えてみるようになりました。
「私はコミュ障なのかもしれない」と思っていた
私は、人に自分から話しかけるのが得意ではありません。
何を話していいのか分からないこともある。
その場ではうまく言葉が出てこなくて、後になって「ああ言えばよかった」と思うこともある。
だから、
「私はコミュニケーションが苦手なんだ」
「もしかしたら、コミュ障なのかもしれない」
と、自分で自分を評価していました。
でも、少し待てよ、と思ったのです。
そもそも私は、専門家に何かを診断されたわけではありません。
「コミュ障」という言葉も、医学的な診断名として使っているわけではない。
それなのに、日常生活の中でちょっと人付き合いが苦手だからといって、自分で自分に大きな名前をつけてしまっていいのだろうか。
「苦手」を、もう少し細かく分けてみる
そこで、自分のことを「コミュ障」という一言で片づけるのをやめて、もう少し細かく考えてみることにしました。
私は、「人と話すことが嫌い」というわけではありません。むしろ、話したいと思うこともあります。
ただ、
- 何を話せばいいのか分からない
- 情報がない状態で話すのが苦手
- 考えてから話したい
- 文章で整理したほうが伝えやすい
- 大勢の中に入っていくのが得意ではない
- 相手から求められていることが分からないと動きにくい
という特徴があります。
こうして並べてみると、少し見え方が変わります。
「私はコミュ障です」ではなく、「私はこういう場面でコミュニケーションが難しくなりやすい」という話になるからです。
この違いは、意外と大きいと思います。
自分に名前をつけるより、特徴を知る
「コミュ障」という言葉は、便利な言葉でもあります。
自分の苦手さを一言で説明できるからです。でも、一言でまとめてしまうと、その中身が見えなくなる。
「コミュ障だから仕方ない」となってしまうこともある。
逆に、「私は、情報がない状態で話しかけるのが苦手なんだ」と分かれば、対策を考えることができます。
例えば、「まず資料を見せてもらえますか」「全体の流れを教えてください」「一度自分で整理してから、質問してもいいですか」と伝えることができる。
これは「コミュ障を克服する」という話ではありません。
自分の特徴に合わせて、コミュニケーションの方法を工夫するという話です。
では、相手にはどうするか
そして、もう一つ大事なのは、相手のタイプも自分とは違うと知ることです。
私のように、「まず情報が欲しい」という人もいれば、「まず話してみないと分からない」という人もいる。
私は、情報がないから話せない。相手は、話さないから情報が共有できない。
そういう組み合わせだったら、どちらも「相手がなぜそうするのか分からない」と感じるでしょう。
だから、相手に合わせて自分が全部変わる必要もないけれど、
「この人にとっては、話しかけること自体がコミュニケーションなのかもしれない」と考えてみる。
それだけでも、少し行動を変えられます。
例えば、特に用事がなくても、「何か私にできることありますか?」と一言聞いてみる。
「今度の○○について、少し確認してもいいですか?」と声をかけてみる。
内容そのものより、「あなたと関わっています」というサインを出すことが大切な場合もある。
今回、それを学びました。
自分を「社交的な人」に変える必要はない
私は、これから急に社交的な人になろうとは思っていません。雑談が得意な人になるつもりもありません。そもそも、それが自分らしいとも思わない。
ただ、「私はこういうタイプだから」と閉じてしまうのも違う。
自分の特徴を知ったうえで、「ここは少し相手に合わせてみよう」という選択ができればいい。
私は、そのくらいでいいのではないかと思っています。
「自分だけが悪い」と思わなくていい
今回、一番大きかったのはここです。
私は以前なら、
「私がもっとコミュニケーション能力のある人間だったら、こんなことにはならなかったのではないか」と考えていたと思います。
でも、今は少し違います。
もちろん、私にも改善できるところはあります。自分から聞くこともできた。もっと話しかけることもできた。
それはその通りです。
でも同時に、私と相手では「コミュニケーションとは何か」という前提そのものが違っていた。
それなら、すべてを「私のコミュニケーション能力が低かったから」だけで説明する必要はありません。
人と人との間には、能力だけではなく、認識の違い、価値観の違い、コミュニケーションの作法の違いもあります。
そこを知るだけで、自分への見方は少し変わります。
「コミュ障かもしれない」と感じている人へ
もし、あなたも自分のことを、「私はコミュ障なのかな」と思ったことがあるなら、すぐに自分をそう定義しなくてもいいのではないでしょうか。
まず、「私は何が苦手なのだろう?」と考えてみる。
話すことなのか。大勢の中に入ることなのか。雑談なのか。自分から声をかけることなのか。
情報がない状態で会話することなのか。考えをその場で言葉にすることなのか。あるいは、相手との距離感をつかむことなのか。
そこまで細かくしてみると、「コミュ障」という大きな言葉では見えなかった自分の特徴が見えてくるかもしれません。
そして、特徴が分かれば、対策も考えられます。「自分を変えなければ」と思うより、
「自分にはこういう傾向がある。では、どうすればうまくいくだろう」と考える。
私は、こちらのほうがずっと前向きだと思っています。
私も、まだ練習中です
もちろん、私自身もまだできていません。
今回のことで気づいただけで、急にコミュニケーション上手になったわけではありません。
これからも、「今、ちょっと自分から声をかけたほうがいいかな」と迷うと思います。
そんなときは、少しだけやってみる。たった一言でもいい。それで十分なのかもしれません。
「コミュ障だから、できない」ではなく、「私はこういうコミュニケーションが苦手。でも、こうすれば少しできる」に変えていく。
今回の出来事をきっかけに、私はそんなふうに考えてみようと思っています。
話せないのではなく、話し方が違うだけかもしれない。
少なくとも私は、そう思えるようになってから、自分を少しだけ責めないでおこう、と考えることにしました。


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