ミッフィー70周年展を訪れて、思いがけない発見がありました。
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ディック・ブルーナの絵本なのに、日本語の題名が違う作品が複数ある。翻訳者によって、同じ原作が違う題名で刊行されているのです。
そのことを教えてくれたのは、一緒に展示を見た我が子でした。
けれど、今回の展覧会でうれしかったのは、翻訳の違いを知ったことだけではありません。
絵本との出会い方は、人それぞれなのだということ。そして、大人になってからでも、新しい発見や学び直しができるのだということでした。
「角野さんの訳の方が好き」
会場には、原画の展示を出たところに地元の図書館による絵本の展示コーナーがありました。
そこに並んでいた絵本を見ていたときのことです。
一緒に行った我が子が、「自分が子どもの頃には、ミッフィーの絵本をほとんど見た記憶がない」と言いながら、何冊かをぱらぱらとめくっていました。
そして、ふと「角野さんの訳の方が好き」と言ったのです。
私は最初、何が違うのか、あまり気に留めていませんでした。
でも、同じ原作なのに題名が違う絵本があることを知り、改めて見比べてみると、なるほど、翻訳者によって言葉の選び方や文章の雰囲気が変わるのかもしれません。
石井桃子さんの作品は原作に忠実で、簡素な訳文の中にどこか静けさがあります。一方、角野栄子さんの訳は、オノマトペが多用され、とてもリズミカルです。ブルーナの絵自体は静止画のようであるのに、まるでアニメーションのように生き生きと動き出すような不思議な魅力がありました。
このように、同じ絵本を前にしても、感じることは人それぞれです。まして、読む人が違えば、目に留まる言葉も違うのでしょう。
「うさこちゃん」と「ミッフィー」。同じ主人公なのに名前が違う
少し気になったので、帰ってから調べてみました。
ミッフィーは、オランダの絵本作家ディック・ブルーナが生み出したうさぎのキャラクターです。
原作での名前は「Nijntje(ナインチェ)」。オランダ語の「konijntje(小さなうさぎ)」に由来します。
日本では、福音館書店の絵本で「うさこちゃん」として親しまれてきました。一方、「ミッフィー」という名前も広く知られています。
「ミッフィー」は英語への翻訳の際に使われるようになった名前です。英語の最初の翻訳者が考案し、ブルーナもその響きを気に入ったとされています。
日本でも、翻訳や出版社によって「うさこちゃん」「ミッフィー」と呼び名が違います。名前だけでも、絵本が別の言語に移されるとき、さまざまな工夫があることが分かります。
福音館書店の「うさこちゃん」シリーズは、1964年刊行の次の4冊から始まりました。
- 『ちいさなうさこちゃん』
- 『うさこちゃんとうみ』
- 『うさこちゃんとどうぶつえん』
- 『ゆきのひのうさこちゃん』
石井桃子さんの翻訳によって、日本の読者に届けられてきた作品です。
一方、角野栄子さんもブルーナ作品の翻訳を手がけています。
翻訳者が違うと、絵本の楽しみ方も広がる
調べていて、同じ原作に対応する作品の例もたくさん見つかりました。
例えば、『ミッフィーのてがみ』と『うさこちゃんのてがみ』。また、『ミッフィーとおどろう』と『うさこちゃんのだんす』です。
何人もの翻訳者が、それぞれの仕事を通じてブルーナの絵本を日本の読者に届けてきたことに深く興味を持ちました。
同じ原作でも、題名や文章が違えば、受ける印象も変わるかもしれません。
「どちらが正しいか」「どちらが優れているか」ということではなく、どんな言葉で読者に届けられ、それを読んだ人がどう感じるのか。
そう考えると、絵本を読む楽しみが、ぐっと広がるような気がします。
(※ミッフィー展を巡るもう一つの視点については、こちらの記事[「ミッフィー70周年展に行って考えたこと。絵本は誰のためのもの?」](※実際のブログのリンクURLを挿入)でも綴っています。)
子どもに絵本を読み聞かせなかったこと
実は私は、自分の子どもに絵本の読み聞かせをほとんどしていません。
子育てを振り返ると、そのことを少し後ろめたく感じていたところがあります。
絵本の読み聞かせは、子どもの成長にとって大切なもの。そうした話を聞くたびに、もっと読んであげればよかったのかな、と思うこともありました。
今は仕事で読み聞かせの様子を見学し、その報告をまとめることがあります。また、保育の勉強を始めたことで、子どもの発達や児童文学について触れる機会も増えました。
そんな中で今回、我が子と一緒に展示を見ていて、少し気持ちが変わりました。
子どもは、私が読み聞かせをたくさんしたわけでもないのに、自分なりに絵本に出会っていたのです。
そして、会場で絵本を手に取り、自分でぱらぱらとページをめくり、翻訳の違いを感じ、「角野さんの訳の方が好き」と言った。
その姿を見て、子どもは子どもなりの方法で、本の世界に触れてきたのだと思いました。
もちろん、読み聞かせには読み聞かせのよさがあるでしょう。親子で同じ物語を楽しむ時間も、かけがえのないものです。
でも、子どもが本と出会う道筋は、それだけではないのかもしれません。
親がすべての機会を用意し、すべてを教えなければならない。そんなふうに考えすぎなくてもよいのではないか。
今回の出来事は、私にそんな優しい気づきをくれました。
大人になってからの学び直しも、悪くない
もう一つ、うれしかったことがあります。
それは、私自身が今になって、絵本を心から面白いと思えるようになったことです。
以前は、絵本といえば子どものためのもの、という意識が強かったように思います。
でも、読み聞かせにかかわるようになり、学びを深めていく中で、絵本の見え方が少しずつ変わってきました。
子どもは、どこを見ているのだろう。 同じ物語でも、受け取り方はどう違うのだろう。 翻訳者が言葉を選ぶとき、何を大切にしているのだろう。
そんな疑問が湧いてくるようになりました。
今回の展示では、多様性(ダイバーシティ)についての解説も印象に残りました。一見とてもシンプルな絵本ですが、登場人物のあり方に目を向けると、大人にとっても深い学びがあります。
子どものための本だからこそ、人生経験を重ねた大人が読み直すことで、心に響くものがたくさんある。
大人になってからの学び直しは、自分の世界をそっと広げてくれる素敵なものだなと感じています。
絵本との出会いは、いつからでも
絵本は、子どもだけのものではありません。
大人になった私たちがページを開くとき、そこにはまた新しい物語が待っています。
今回は、我が子との会話をきっかけに、翻訳の面白さや、これまでの子育ての記憶をやわらかく受け止め直すことができました。
ミッフィーが教えてくれた小さな発見を胸に、これからも自分のペースで、本のある暮らしを楽しんでいきたいと思います。

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