新聞購読と「ウェルビーイング」の意外な接点

最近、私のもとに一通のメールが届きました。講座の受講案内です。

この取り組みは「●●大学」と銘打って地元のいろいろな方が講師となったり受講生となったりして、見識と人間関係を深めるという取り組みで、もう4年くらいはやっているものです。最初は「北陸新幹線県内延伸」をきっかけに街中の賑わいと「居場所と舞台」の提案をするものでしたが、今は暦年の受講生による小さな取り組みのアウトプットの場としての役割も担っています。

で、私のものに届いた案内は単発の講座ご紹介ではなく、年度ごとのテーマを決めた取り組みで半年くらい複数回をかけてインプットとアウトプットをするというものでした。私はこれまでその連続講座の存在は何となく知ってはいましたが、テーマがあまり自分の現状とはマッチしないものでスルーしていたのです。

ただ、今回は「ウェルビーイング」

以前から単発で受講していたテーマでもあり、自分でも大いに気になっていたところ、まさに「今、改めて」と感じて気になってしょうがなくなりました。

ただ、正直受講料がとても高い。この値段に見合うものがこの自分にあるのかと手もじゃないが自信がありません。

新聞と「ウェルビーイング」の意外な接点

申込しようかどうしようか、なんとなくひっかかっていたところ、新聞でまさに「ウェルビーイング」の記事をみつけました。

実はごく最近、新聞を取り始めたのです。家族からは「え?今更?」と呆れられました。我が家としても何十年ぶりになるかもしれません

久々に手にする新聞は全国紙ということもあり、広告が増え、ニュースよりは読み物が中心の紙面構成という印象でした。新聞をふわっとテーブルに広げた時の何とも言えないワクワク感は不思議な感覚でした。

毎日届く紙面の全部を読むことは当然できず「新聞をゆっくり隅々まで目を通せる時間のある人は幸せだろうな」とうらやましくも感じていました。

普通の新聞の文字は6万から8万字、文庫本一冊くらいのボリュームがあるそうです。毎日毎日読むことはほとんどむずかしいし、そんな人は世の中にもたぶんいないようです。

なので、「読みたいところだけを選別する」「全部読むことは最初からあきらめる」のが肝心だとか。

幸せ 孤独でもなれる、という提案

そんな中で最近、まさにウエルビーイングに関する記事があったというわけです。

「幸せ 孤独でもなれる」という特集で、武蔵野大学ウェルビーイング学部長前野隆司へのインタビュー記事です。

  • 「自分推し」の時間: 前野氏によれば、ウェルビーイングを高める鍵は「自分自身でやりたいことがある」ことです。新聞をゆっくり読み、自分の興味に従って記事を選ぶ時間は、まさに情報の海の中での「自分推し」の行為と言えます。
  • 「気にしすぎない」訓練: 新聞の膨大な情報のうち、大部分は自分に関係のない情報です。それらを「読み飛ばす」ことは、前野氏が説く「自分でコントロールできないことを気にしすぎない」という心構えを日々訓練していることにも繋がります。
  • 物理的距離を置く効能: SNSのようなリアルタイムで追いかけられる情報(=泥沼になりやすいもの)と違い、紙の新聞は物理的に一定の距離があるメディアです。この距離感が、情報に翻弄されず「持続可能な心の状態」を保つのに役立っているのかもしれません。

新聞との付き合い方への戦略的助言

 この特集を読んで気付くことは、私のように、「いまさら新聞」と家族に言われても、全く気にする必要はない、ということ。むしろ、情報の取捨選択が極端に速い現代において、紙面という「あえて情報の密度が一定ではない場所」に身を置くことは、非常に贅沢で知的な贅沢です。

 今後、もし何かの研修を受講されるのであれば、この「新聞の読み物から得た気づき」を、地域の活動にどう落とし込むかという視点を持ってみたいです。 たとえば、新聞で見つけた「心地よい暮らしのヒント」や「地域課題への視点」を、自身の「社会教育」の現場で住民の方々に紹介するだけでも、それは立派な「発信」の種になるはずです。

一日で全部読もうとせず、目に入った見出しや、たまたま手が止まった記事を「その日の自分への贈り物」として楽しむ。そんな余裕のある読書こそ、今のあなたに最も必要なウェルビーイングの時間ではないでしょうか。

明日、また新聞を開くとき、「今日はどれを摘み食いしようかな」と、軽い気持ちで選んでみてください。その「選ぶ行為」こそが、あなたの自己決定感(ウェルビーイングの要素)を養う一歩になるはずです。

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