食欲って何だろう。「お腹が空いたから食べる」がずっとピンとこなかった話

「食欲」という言葉への違和感

ダイエットや食事の話をするとき、当たり前のように「食欲」という言葉が使われます。食欲が旺盛、食欲を抑える、食欲の秋。

でも私は、この言葉にずっと違和感を持っていました。

「おいしく食べたい」という感覚でもない。「生きるため」に食べているという実感もない。私の場合、食欲イコール食べる行動、にはつながっていないのです。

食欲抑制剤を飲んで、自分の食べ方をあらためて観察するようになって、この違和感の正体が少しずつ見えてきました。

満腹感が「やめる合図」になったことがない

「よく噛んで食べれば満腹中枢が刺激されて、自然と食べる量が減りますよ」

ダイエットの本や指導で、必ずと言っていいほど出てくるアドバイスです。理屈としては正しいのだと思います。ただ、これを自分に当てはめようとするたびに、どこかでうまくいきませんでした。

なぜなら、私には「満腹だから、もう食べるのをやめよう」という感覚自体が、そもそもあまりないからです。

噛むことで満腹中枢が刺激される、その回路そのものが、私にはうまく働いていない。噛む回数が足りないのではなく、噛むという行為自体が満腹感のスイッチとして機能しにくいのだと思います。

では何が「やめる合図」なのか

満腹感で止まらないなら、私は何によって食べるのをやめているのか。

正直に書きます。罪悪感です。

しかも、この罪悪感によるブレーキも、実はあまり強くありません。ひどいときには、床に横になってもまだ何かを口に放り込んでいることがあります。

「満腹感」ではなく「罪悪感」でしか止まれない、しかもその罪悪感すら効かないことがある。これに気づいたとき、正直、自分でも少し驚きました。

噛むという行為が、そもそも苦手

さらに掘り下げていくと、私は「噛む」という動作自体があまり好きではないことに気づきました。

口の中で食べ物がぐちゃぐちゃになっていく感覚が苦手なのです。だから、実際の私の食べ方は「噛む」よりも「飲み込む」に近いのだと思います。

「30回噛みましょう、そうすれば満腹中枢が発動して食べ過ぎを防げます」という助言は、噛むこと自体は苦にならないけれど、つい急いで食べてしまう人には効くのだと思います。でも、噛むという行為そのものに抵抗がある私には、そもそも前提からして噛み合っていなかったのだと思います。

ふわふわ・どろどろは好き、でも口の中に長くとどめておくのが苦手

これは特定の食べ物に限った話ではなく、食べ物全体に言えることだと気づきました。

ふわふわしたもの、どろどろしたものは好きです。でも、何であれ、口の中に食べ物を長くとどめておく感覚そのものが「気持ち悪い」のです。

つまり私にとっての「食べやすさ」は、味の好みというより、口の中にとどまる時間が短いかどうかで決まっているのだと思います。

子どもの頃から、ずっとそうだった

この感覚は、最近急に出てきたものではありません。ずっと昔から、こうでした。

昔から太っていて、子どもの頃には肥満児認定もされていました。振り返れば「噛んで少しずつ食べる」という食べ方の指導が、最初から私には合っていなかったのだと思います。

プロテインダイエットが自分に向いていると感じるのも、同じ理由だと思います。液体、あるいはそれに近いもので、噛む工程を挟まずに栄養を摂れる。口の中に長くとどめる必要がない。これは意志の強さや工夫の問題ではなく、私にとって心地よい食べ方の形が、最初から世の中でよく言われる「よく噛んで、少しずつ、よく味わって食べましょう」という王道とは、違う方向にあったということなのだと思います。

「欲求」ではなく「存在」で食べている――あるから食べる

ここまで整理してきて、もう一つ気づいたことがあります。

犬に失礼な言い方かもしれませんが、私の食べ方はどこか「あるから食べる」に近いのかもしれません。空腹だから、おいしいから、ではなく、目の前にある、手が届く、だから口に運ぶ。動機の起点が「欲求」ではなく「存在」にある、という感じです。

お菓子の買い置きをすると、必ずそれを消費してしまう。袋を開けたら、空になるまで止まらない。これも、「食べたい」という欲求に突き動かされているというより、「そこにあるものを処理している」という感覚の方が近い気がします。

「食べたい」のではなく「口に何か含んでいたい」のかもしれない

そう考えて、もう一段掘り下げてみると、一つの仮説にたどり着きました。

私が本当に必要としているのは、栄養でも満腹感でもなく、「口に何かを含んでいる」「吸う、あるいは咥えている」という感覚そのものなのかもしれない、ということです。

噛んで飲み込むという工程を経ずに、口の中に何かがある状態を保てれば、それだけで満たされる。うまく言えないのですが、赤ちゃんが「おしゃぶり」を咥えて安心するのに近いような、生理的というより感覚的・心理的な満たされ方に近いのではないか、と思っています。

恥ずかしい発想だと自分でも思いますが、書いておきます。

炭酸水への欲求も、たぶん同じ線上にある

そう考えると、自分が無糖の炭酸水をずっと欲しがっていることにも説明がつく気がします。

噛まずに、でものどごしという強い刺激がある。カロリーもなく、罪悪感も少ない。今、食欲抑制剤を服用したあとの胸やけを和らげるのにも、温かい飲み物より、常温の水や炭酸水で喉を潤す方がしっくりきています。

「噛む」ではなく「口に含む・通過させる」という感覚を満たす手段として、今の私にはこれが合っているのだと思います。

ここまでわかって、これから

「食欲とは何か」という問いから始めて、自分の食べ方が、世の中で語られる「食欲」の仕組みとはかなりズレていることに気づきました。

満腹中枢が刺激されない。噛むことへの抵抗がある。口の中に食べ物をとどめておくのが苦手。やめる合図は満腹感ではなく罪悪感。動機の起点は「欲求」ではなく「そこにあるから」。そして、本当に求めているのは「食べること」そのものより「口に何かを含んでいる感覚」なのかもしれない。

これらはあくまで、私自身の観察と自己分析であって、医学的な診断ではありません。情動的摂食や過食性障害、衝動制御の問題など、専門的な切り口はいくつもあるようですが、自分がそのどれに当てはまるのかは、本来は専門家が経過を診て判断することだと思っています。

ただ、名前をつけることよりも、「これは単なる意志の弱さの話ではない」と自分の言葉で気づけたことに、今は意味を感じています。次に医師に会うときは、この一連の気づきもそのまま伝えてみようと思います。

コメント