「鎧」としての学びを脱ぎ捨てて
数年ぶりに再会した友人と、福井のお店でランチをしました。 彼女は、私の知る中で一番「バイタリティ」という言葉がぴったりな女性です。
かつて政治の世界に挑戦し、1,000万円という大きなお金を投じた彼女。けれど、人間関係に違和感を覚えた瞬間、彼女は「スパッ」と身を引きました。 驚いたのはその後です。子供の学費に充てるはずだった資金を使い切ったため、お子さんは大学進学ではなく海外ワーキングホリデーへ。円安を味方につけて、現地で「君が必要だ」と引き留められるほど、たくましく働いているそうです。
彼女自身も、制度を徹底的に調べて自治体と交渉し、支援を形にして専門学校へ通い詰め、国家資格を手にしました。4月からは、二つのわらじを履く新しいキャリアをスタートさせます。
実は私、昨日は胃の調子がとても悪く、一日絶食して過ごしていました。 そんな空っぽの体に、お店の「薬膳料理」が、じわじわと温かく染み渡っていきます。
そんな中、彼女が料理を運んでくれた老夫婦に対して、驚くほど気さくに、そして心から楽しそうに話しかける様子を隣で見ていました。 滋味深い料理が体を癒やしていくのと同時に、私の中で何かが静かにほどけ、温かいものが心に流れ込んでくるのを感じたのです。
「バリア」という言葉に傷ついた日
かつての私は「挨拶の後に会話が続かない」「自分の仕事にバリアを張っている」と、多くの人の前で否定された経験があります。 それは私にとって、心に深く突き刺さったままの、悲しい棘のような記憶でした。
思い返せば、私がこれまで一生懸命に積み上げてきたもの――社会人になってからの学生生活、大好きな資格たち。それらは純粋な好奇心であると同時に、自分を守るための「鎧(よろい)」でもあったのかもしれません。 「手に職を」「専門性を」「学歴を」。 そうやって自分を武装することで、人からの攻撃を防ぎ、自分の居場所を必死に守ろうとしていたのだと思います。
「一体、あなたは何がしたいの?」 そう問われるたびに、私は自分の「後ろ足を残す」ような慎重な生き方に、どこか後ろめたさを感じていました。
「二人でするヨガ」が教えてくれたこと
けれど今、私はタイ古式マッサージを学んでいます。 「二人でするヨガ」とも呼ばれるそれは、相手の呼吸に自分のリズムを合わせ、体重を預け合う、優しい対話の形です。 家族を練習台にすれば「痛い」「そこじゃない」と遠慮のない声が飛んできます。手順を忘れて、マニュアル片手にしどろもどろになることもあります。
でも、不思議と嫌な気持ちにはならないのです。 かつて「人に触れること」に苦手意識があった私が、今、誰かの体に触れ、その温もりを感じようとしています。 それはもう、自分を大きく見せるための「鎧」ではありません。自分が施術を受けて癒されるように、相手にも楽になってほしい、そうやって相手とつながるための、新しい「共通言語」なのだと感じています。
4月、新しい呼吸を始める
3月31日をもって、私は今の職場を離れます。 4月からは、再び慣れ親しんだ地域活動の現場へと戻ります。
「後ろ足を残す生き方」と言われれば、そうかもしれません。でも、今の私にはわかります。 私が積み上げてきた全ての「点」は、今日出会った彼女の笑顔や、薬膳料理を運んでくれた老夫婦との柔らかな会話、そしてマッサージを通じて感じる相手の呼吸へと、一本の線でつながっています。
人生は一度きり。 もし誰かに「何がしたいの?」と聞かれたら、今はこう答えたいと思います。
「鎧を脱いで、目の前の人の呼吸に合わせたい。 論理で道を作り、映像でその価値を伝え、マッサージの手で心を解きほぐす。 そんな、多色刷りの『逃げ地図』のような温かな支援を、私は選んでいきたい」
1,000万円を笑い飛ばす彼女の強さと、薬膳料理の優しさ。 それらが教えてくれた「人と触れ合う喜び」を大切に抱きしめて、私は4月から、新しい呼吸を始めます。
絶食明けの体に、彼女の明るさと薬膳の優しさが効いた……そんな素敵な情景が目に浮かぶようです。

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