幻想的な冬の闇とは
北欧について調べていると、当然のように冬の話が出てきます。
雪。オーロラ。静かな森。そして、北極圏の長い夜。旅行の言葉にすると、どれも美しい。
「幻想的な冬の闇」
「青い薄明に包まれた世界」
「神秘的な極北の時間」
なるほど。確かに美しいのでしょう。でも、北陸の冬を知っている私は、そこで少し立ち止まります。
ずっと暗いって、耐えられるだろうか。
私の知り合いに、太平洋側で生まれ育ち、結婚を機に北陸へ住むことになった人がいます。
そして80歳を前にして、太平洋側へ帰っていきました。
その理由のひとつが、
「冬に光が見たい」
ということでした。
私は、その言葉を聞いたとき、少し驚きました。
北陸に生まれ、ずっと北陸の冬を当たり前のものとして暮らしてきた私には、そんな発想そのものがなかったからです。
冬は曇るものだと思っていた。
空が灰色なのも当たり前。
太陽がなかなか顔を出さないことも、そういうものだと思っていた。
だから、
「冬に光が見たいから帰る」
という言葉は、私にとって少し意外でした。
同じ日本の冬でも、太平洋側で育った人と、日本海側で育った人では、感じ方がこんなに違うのか。
そのとき初めて、そんなことを考えました。
そして今、北欧の冬について調べ始めています。
オーロラ。
雪原。
森。
ガラス張りのホテル。
写真を見ると、どれも美しい。
当然、行ってみたくなります。
でも、少し調べ始めると、今度は別のことが気になってきました。
北欧の冬って、実際にはずっと暗いのではないだろうか。
もちろん、私は北極圏に何か月も滞在するわけではありません。
せいぜい数日でしょう。
そもそも、まだ行けるかどうかもわかりません。
それなのに、もう「そこにいる自分」を想像してしまうのです。
オーロラを待つ夜。
雪に囲まれた町。
そして、昼間もどこか薄暗い時間。
私はそこで、何を感じるのだろう。
「なんて幻想的なんだろう」と思うのか。
それとも、
あれ? これ、福井の冬とあまり変わらないのでは?
と思うのか。
もちろん、同じではないでしょう。
北欧には北欧の自然がある。
オーロラもある。
日本では見たことのない景色もある。
それでも、憧れだけで写真を見ているときには考えなかったことを、少しずつ考えるようになりました。
私は北欧の何に憧れているのだろう。
雪なのか。
静けさなのか。
オーロラなのか。
それとも、単に「北欧にいる自分」なのか。
あの知人の「冬に光が見たい」という言葉を思い出すたびに、そんなことまで考えてしまいます。
『極夜行』を読んだときも、最初に気になったのは「暗さ」だった
以前、角幡唯介さんの『極夜行』を読みました。北極圏の極夜の中を旅するという、とんでもない計画です。
冒険家とはいえ、よくもまあ、こんな無謀な計画を実行するものだ。と思いました。
寒い。危険。孤独。
もちろん、それも大変でしょう。
でも、私が気になったのは、そこではありませんでした。
ずっと暗い。そのことに耐えられるのだろうか。極夜の恐ろしさを考えながら、ふと思いました。
この人は、冬の曇天を知らずに育っているのだろうか。
北陸の冬を知っている人間としては、少し違う意味で心配になったのです。もちろん、北陸の冬と北極圏の極夜を比べることはできません。そんなことを言うつもりもありません。
ただ、太陽が見えない日が続くことの重さについては、私は少しだけ想像できるような気がするのです。
北欧の「静けさ」は、私にとって本当に癒やしになるのか
ここで、最初の疑問に戻ります。
北欧旅行では、「静寂」「何もしない贅沢」「ゆっくり流れる時間」が魅力として語られます。
でも私は考えます。
それは、本当に私にとって癒やしになるのだろうか。
静かな雪景色。人のいない森。長い夜。それが非日常だから楽しいのか。
それとも、北陸の冬を思い出して、少し気持ちが重くなるのか。
行ってみなければわかりません。
でも、だからこそ行ってみたい。北欧の冬を、写真ではなく、自分の体で経験してみたい。
オーロラを見るためだけではなく、
「私は、北欧の冬の中でどう感じるのか」
それを知るためにも。
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