50代になった女性が恋愛をするとき、なぜかそこには、若い頃とは違う「分別」が求められることがあります。
「もういい歳なんだから」 「相手の将来を考えたほうがいい」 「いい加減、現実を見なさい」
そんな言葉を周囲から投げかけられることもありますし、もしかすると私たち自身も、知らず知らずのうちに自分へ言い聞かせているのかもしれません。
ですが、前回の記事を書き終えてから、私はもう一つの疑問を抱くようになりました。
そもそも、なぜ年の離れた人同士の恋愛は、ことさらに「現実を見なければならないもの」とされるのでしょうか。そして、もっと根本的な問いとして「恋愛とは何なのか」について考えてみました。
恋愛とは何か?計算では始まらない感情
相手に惹かれる。
なぜかわからないけれど、その人が気になる。気がつくとその人のことを考えていて、会いたい、一緒にいたい、声を聞きたいと思う。その人のことをもっと知りたいと思い、どうしようもなく好きになる――。
これを、私たちは「恋愛」と呼ぶのではないでしょうか。
もちろん、恋愛に決まった定義があるわけではありません。人によって捉え方は異なりますし、同じ人であっても若い頃と歳を重ねてからでは変化していくものです。
ですが少なくとも、恋愛は「現実的な条件を満たしたから成立するもの」ではないはずです。
- 年収はいくらか
- 年齢差は何歳までか
- どこに住んでいるのか
- 老後や子どもの問題はどうするのか
- 介護の負担はどう分担するのか
条件をすべて計算して、「基準をクリアしたから恋愛をしましょう」と始まるわけではありません。むしろ、そうした計算を超えた感情だからこそ、人は戸惑うのではないでしょうか。
好きになってしまった。ただ、それだけ。そして、その「ただそれだけ」の気持ちが、ときに人生を大きく動かします。
そう考えると、恋愛という形のない感情に対して、最初から「現実味を持ちなさい」と求めること自体、少し偏った見方なのかもしれません。
「現実」は恋愛の入口ではなく、その先にあるもの
もちろん、「現実なんてどうでもいい」と言いたいわけではありません。恋愛を現実から切り離して考えるべきだという趣旨でもありません。
順番の問題なのです。「恋愛をしたあとに、現実がやってくる」のだと思います。
好きになり、一緒にいたいと思った。では、その先をどう生きていくのか。そこで初めて、二人の生活について具体的に考え始めます。
- 一緒に暮らし始めるのか、結婚という形をとるのか
- 仕事や住まいをどう調整していくのか
- 子どもや親との関係、病気や老後にどう備えるのか
こうした課題を、二人で一つひとつ話し合っていくことが大切なのです。
恋愛の入口に「現実」という踏み絵を置くのではなく、恋愛の先にある生活について、二人で現実に向き合っていく。「年齢差があるから現実を見なさい」と否定するのではなく、「年齢差があるね。では、二人はこの先どうしていきたい?」と問いかける姿勢こそが自然なのではないでしょうか。
同年代の恋愛と年の差恋愛の違い
そもそも、同年代の二人であれば、すべてが「現実的」で安全なのでしょうか。決してそうとは言い切れません。
同年代でも人生の前提は一人ひとり異なる
同じ50歳であっても、育ってきた家庭環境も違えば、仕事や経済状況も異なります。これまでの人生経験や、子ども・親の介護といった抱えている事情も千差万別です。
同じ年齢だからといって、人生の歩みや価値観が一致しているわけではありません。
「人生の時計」のずれが目につきやすい理由
ただし、同年代には一つの特徴があります。それは「人生の時計」が比較に近いということです。
結婚、子育て、キャリアの転換、親の高齢化、自身の老後といったライフイベントの時期が重なりやすいため、周囲から見ても「未来の予測がつきやすい」と感じられます。
一方で年齢が大きく離れていると、この「人生の時計のずれ」が目につきやすくなります。そのため、周りはすぐに「子どもはどうするのか」「どちらかが先に病気や介護が必要になったらどうするのか」といった未来の課題を指摘したくなるのです。
年上のパートナーを見送る立場を経験して分かったこと
私自身、比較的若い頃に、男性が年上である結婚を経験いたしました。
結婚し、子どもを育てている間は、年齢差を強く意識することはありませんでした。ですが年月が経つにつれて、年上のパートナーは先に老いていきます。体力の差があらわれ、以前のように手軽に旅行へ行くことが難しくなり、介護の問題も現実的な課題として目の前に現れました。
これは確かに、年齢差があるからこそ起こりうる現実です。ですから、「年齢差なんて何の問題もない」と安易に断言することはできません。
ですが、実際にその現実を経験した上で感じることがあります。それは本当に、その関係を否定するほどの「決定的な問題」なのでしょうか。
人生には、年齢差とは関係なく予測できない事態がいくらでも起こります。同年代と結婚しても、病気になることもあれば、生活環境が激変することもあります。「同年代だから現実的で、年の差があるから非現実的」と言い切れるほど、人生は単純なものではありません。
年齢差があれば年齢差の、同年代であれば同年代の現実がある。ただそれだけのことなのです。
なぜ「女性が年上」の年の差恋愛は厳しい目に晒されるのか
年の差恋愛において、本当の課題は「年齢そのもの」ではなく、「二人の人生に対する希望の違いを引き受けられるかどうか」です。
子どもの有無、居住地、働き方、老後の過ごし方など、人生の希望の食い違いは同年代の間でも頻繁に起こります。年齢の違いではなく、価値観の違いをどう話し合い、納得していけるかが本質的な問いのはずです。
それにもかかわらず、世間では「女性が年上」の場合にだけ、より強い批判や心配が向けられる傾向があります。
「相手のために身を引くべき」という不条理
男性が年上である場合は「頼りがいがある」と自然に受け入れられやすい一方で、女性が年上の場合は「彼の将来を考えてあげなさい」「彼の子どもを産めないかもしれないのに」といった言葉が向けられがちです。
そこには、若い男性側の「自ら選択する意思」を軽視する視線が存在します。彼は自らの意思で判断できる一人の大人であり、誰と生きていくかを自分で決める権利を持っています。
そして女性側に対しても、「自分の幸せより他者の未来を優先すべきだ」という古い役割意識や、女性の価値を出産可能性だけで推し量るような偏った見方が、依然として残っているように思えてなりません。
「標準的な人生のコース」という幻想
私たちは長い間、「結婚し、子どもを持ち、育て上げて老後を迎える」というモデルを正解として扱ってきました。
そのため、そのコースから外れて見える関係に対して、周囲は不安を覚え、「大丈夫なの?」と介入したくなるのかもしれません。
ですが、標準的なコースを歩んだからといって、確実に幸せになれる保証はどこにもありません。結婚や出産の有無、パートナーの年齢に関わらず、人間の幸せの形は一人ひとり異なるのです。
「現実を見る」ことの本当の意味
「現実を見る」とは、夢を諦めたり、恋愛そのものを手放したりすることではありません。
年齢差があるからこそ生じる課題――健康、介護、経済、家族との関係、老後の暮らし――について、ごまかさずに二人で話し合うこと。それが本当の意味で「現実を見る」ということです。
課題を把握した上で、それでも「この人と一緒にいたい」と思えるのであれば、その選択を尊重すべきではないでしょうか。
人生の時計は、一人ひとり違っていい
人生の時刻表に決められた正解はありません。
- 20代で家庭を持つ人もいれば、50代・60代で新たなパートナーに出会う人もいる
- 子どもを持たない生き方を選ぶ人もいれば、子育てを終えてから自分の人生を再スタートさせる人もいる
人を年齢という数字だけで判断するのではなく、「二人がどんな人間であり、互いを尊重し合いながらどう生きていきたいのか」に目を向けることが大切です。
まとめ:自分の人生の選択権を手に握り直す
恋愛の先に待っている現実に、絶対の保証はありません。それは同年代であっても、年の差があっても同じことです。
人生とは、問題が全く存在しない安全な道を探すことではなく、「この人となら、どんな現実が来ても一緒に引き受けていきたい」と思える道を選ぶことではないでしょうか。
他人の心配や世間の物差しに惑わされる必要はありません。
「現実を見なさい」という言葉に身を縮めるのではなく、「私たちはこの現実をどう歩んでいくか」を二人で静かに話し合っていく。その積み重ねの先にこそ、誰にも脅かされない自分たちの人生が作られていくのだと信じています。
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