職場の人間関係に疲れたとき、あなたならどうしますか。
思い切って辞める。それとも、生活のためと割り切って働き続ける。
頭では「気にしなければいい」「仕事と人間関係は別」とわかっていても、実際にはそう簡単に割り切れるものではありません。
私自身、今まさに「もう辞めよう」「いや、続けよう」を繰り返しています。
今回は、職場での理不尽な経験を経て、これからどう働いていくのか、自分なりに考えていることを書いてみます。
職場での理不尽な経験は、簡単には消えない
これまで長く働いてきましたが、今の職場では、同僚と上司の二人から一方的に責められたと感じる出来事がありました。
いわゆる「袋叩き」と感じるような経験です。
その後、何事もなかったかのように日常の仕事は続いていきました。しかし、私が受けた精神的な負担について、十分なフォローがあったとは感じていません。
結局、私は自分の職場の労働安全衛生部門に相談・申告するところまで進みました。
そこまでしたのだから、気持ちに区切りがついたかというと、そうでもありません。
職場に行けば仕事があります。周囲の人とも顔を合わせます。何もなかったかのように振る舞わなければならない場面もあります。
でも、こちらの気持ちまで何事もなかったことにはできません。
「こんな思いをしてまで働く必要があるのだろうか」
そう考える日もあります。
一方で、辞めたら辞めたで、収入や今後の生活の問題が出てきます。感情だけで決められる話ではありません。また、「あんなひとたちのせいで、割と気に入っている仕事を手放すことになるのか」という憤りもわきます。
だから私は今、「辞める」とも「続ける」とも決めきれないまま、毎日考えています。
職場の人間関係が、人生のすべてではない
こんなとき、ふと思い出すのがアドラー心理学の考え方です。
アドラー心理学には「共同体感覚」という概念があります。自分が他者とつながり、共同体の一員であり、誰かの役に立っていると感じることに関係する考え方です。
ただ、私はこの考え方を、職場の人間関係に無理に当てはめる必要はないと思っています。
職場は、人生の一部です。
そこで一緒に働く人たちと、必ずしも価値観が合うとは限りません。どれだけ努力しても、相手に理解してもらえないこともあります。
ましてや、理不尽だと感じる扱いを受けたときまで、「自分の考え方を変えればうまくいく」と考える必要はないでしょう。
人間関係は、双方でつくるものです。自分だけが努力すれば解決するとは限りません。
それなら、職場の人たちに理解してもらうことばかりにエネルギーを使うのは、もうやめてもいいのではないか。
最近、そんなふうに考えるようになりました。
職場はATM。そう割り切ることも必要なのかもしれない
少々身もふたもない言い方ですが、今の私にとって、職場は「ATM」のようなものです。
働いた対価として給料を受け取る場所。
もちろん、仕事をする以上、任された業務には責任を持ちます。必要な報告や連絡、相談もします。職場の一員として、やるべきことはきちんとやるつもりです。
ただし、職場の人たちに好かれたい、認められたい、わかってもらいたいという気持ちまで、無理に持ち続けなくてもいいのではないかと思っています。
仕事をきちんとすることと、職場の人たちと親密になることは別です。
相手の機嫌を取り、何でも受け入れ、こちらが折れることで関係を保とうとすれば、いつか自分が疲れ果ててしまいます。
必要なことは話す。仕事上の約束は守る。けれど、必要以上に相手の言動を気にしない。
できるかどうかは、まだわかりません。
今までの私は、相手にどう思われるかを気にしすぎていたのかもしれません。だからこそ、これからは少し距離を置いて働くことを試してみたいのです。
「少しは役に立っている」という感覚も捨てたくない
とはいえ、職場を完全にお金だけの場所と割り切れるかというと、それも違います。
私は、ただ給料をもらえればそれでいい、とまでは思っていません。
長年働いてきた経験もありますし、自分なりにできることもあります。仕事を通して、誰かの役に立てたと感じる瞬間もあります。
だから、今の職場でも、少しは役に立っているという感覚を持ちながら働きたいと思っています。
ただし、それは職場の人たちから認めてもらうことと、必ずしも同じではありません。
自分がやるべき仕事をきちんとこなした。誰かの役に立つことができた。仕事を一つ前に進められた。
そうした事実があれば、ひとまずそれでいい。
周囲の評価がどうであれ、自分自身が納得できる仕事をする。相手の評価だけを、自分の働く価値を決める物差しにしない。
今の私にとっては、それくらいの距離感が必要なのだと思います。
「辞めるか、続けるか」の答えは、まだ出ていない
正直に言えば、今も「辞めよう」と思う日があります。
一方で、今すぐ辞めることが、本当に自分にとって最善なのかとも考えます。
収入のこと、これからの生活のこと、仕事以外にやりたいこと。考えるべきことはいくつもあります。
職場で嫌な思いをしたからといって、その勢いで辞めるのが正解とは限りません。反対に、生活のためだからといって、何もかも我慢して働き続けるのが正解とも限りません。
だから今は、辞めるか続けるかという二択だけで考えず、続けながら自分の時間や選択肢を増やしていくことも考えています。
職場以外にも、自分が関心を持てること、挑戦したいこと、役に立てる場所はあるはずです。
仕事だけに気持ちを奪われず、勉強をしたり、ブログを書いたり、興味のある活動に取り組んだりする。そうして職場以外の時間を充実させていけば、今の職場が人生に占める割合も、少しずつ変わってくるかもしれません。
頭を下げない、知らん顔で生きる。それは強がりなのかもしれない
今回のタイトルに「頭を下げない、知らん顔で生きる」と書きました。
ただ、実際には、いつでもそんなふうに振る舞えるわけではありません。
腹が立つこともあります。納得できないこともあります。相手の言葉を思い出して、気持ちが沈むこともあります。
それでも、相手に自分の時間や気持ちを支配され続けるのは、もう避けたいのです。
頭を下げないというのは、仕事上の礼儀を欠くという意味ではありません。必要な礼儀は守りながらも、自分の尊厳まで差し出さないということです。
知らん顔をするというのも、すべてを無視することではありません。必要な仕事はきちんとする。そのうえで、仕事以外のことまで抱え込まないようにすることです。
うまくできるかどうかは、これからの課題です。
アドラー心理学の考え方を借りるなら、他人の評価や感情を自分が思いどおりに変えることはできません。一方で、自分がどこに力を注ぐかは、少しずつ選び直せるはずです。
今はまだ、気持ちの整理がついたわけではありません。
ただ、職場の人間関係だけを人生の中心に置くのはやめようと思っています。
給料を得る場所として、きちんと働く。そして、少しは役に立っているという感覚も大切にする。
その一方で、自分の時間とエネルギーは、仕事以外の人生にも使っていく。
そんな働き方ができるのか、もう少し試してみたいと思います。
あなたは、職場の人間関係に疲れたとき、辞めることを考えますか。それとも、仕事と割り切って続けますか。
簡単には答えの出ない問題だからこそ、自分はどうしたいのか、考え続けてもいいのだと思います。


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