最近、自分でも「あれ?」と思うことがある。
物忘れが増えた、という話ではない。
もっと微妙な話だ。
「今、何を先にやるべきなのか」が、わからなくなる。
たとえば、冷凍食品。
冷凍室から袋を取り出して、必要な分だけ使う。
残りは、当然ながら冷凍室に戻さなければならない。
戻さなければ、解凍してしまう。時間が経てば味も落ちる。だから、優先順位は明らかなはずだ。
まず、冷凍食品を冷凍庫に戻す。
ところが私は、その袋をテーブルの上に置いたまま、
「そうだ、皿を拭かなきゃ」と、皿を拭き始めたりする。
いやいや。今じゃない。皿は逃げない。冷凍食品は逃げる。
……というか、溶ける。
それなのに、なぜか皿を拭いている。
そしてしばらくして、「あっ!」となる。
冷凍食品がテーブルの上に置きっぱなしになっている。
別に、皿を拭くことを忘れていたわけではない。むしろ逆だ。ちゃんと覚えている。
「皿を拭こう」と思った瞬間、そのことが頭の中で急に大きくなり、目の前にあった「冷凍食品を戻す」という仕事を追い越してしまう。
これって、単なる物忘れとは少し違うのではないか。
最近、私はそう思うようになった。
「忘れる」のではなく「順番が崩れる」
若い頃なら、
「冷凍食品を戻してから、皿を拭こう」
と、自然に処理できていたことが、
年齢を重ねると、「皿を拭かなきゃ」と思った瞬間に、そちらへ行ってしまう。
つまり、
記憶しているかどうかではなく、優先順位をつけ、それを維持することが難しくなる。
そんな感じなのだ。
もちろん、すべての中高年に起こることだとは言えない。
加齢だけが原因とも限らない。
疲れているときもそうなるし、忙しいときにもなる。
ただ、年齢を重ねると、こういう「ちょっとした段取りの崩れ」が増えてきたように感じる。
たとえば、
洗濯機を回した。
↓
「あ、メールを返さなきゃ」
↓
スマホを見る。
↓
別のことを始める。
↓
しばらくして、
「あれ?洗濯物……」
となる。
あるいは、
お湯を沸かしている途中で別のことを思い出す。
その瞬間、最初の仕事が頭から消える。
こういうことが、少しずつ増えてくる。
「今すぐやるべきこと」が見えなくなる
ここで厄介なのは、どの仕事も間違っていないことだ。
皿を拭くのも正しい。
洗濯物を干すのも正しい。
メールを返すのも正しい。
だから、「何もしていない」のではない。
むしろ、ちゃんと何かをしている。
ただし、
順番が違う。
そして、その「順番の違い」が、年齢を重ねるほど生活の中で目立つようになる。
若い頃は頭の中で、
「これは今やらないと困る」
「これは後でもいい」
と、かなり高速で仕分けしていたのかもしれない。
ところが今は、その仕分けをする前に、目についたもの、思いついたものに引っ張られる。
そう考えると、「年を取ると優先順位がわからなくなる」というのは、意外と深い話なのかもしれない。
だから「もっとしっかりしろ」では解決しない
こういうとき、
「最近、私ボケてきたのかな」
と落ち込む。
そして、
「ちゃんとしなきゃ」
と思う。
でも、たぶん「ちゃんとする」という精神論では解決しない。
むしろ必要なのは、
優先順位を頭の中だけで管理しないこと
なのではないか。
たとえば冷凍食品なら、「冷凍庫に戻すまでが料理」と決めてしまう。
袋を戻すまでは、次の作業に移らない。
洗濯なら、「洗濯機を回したら、スマホを触らない」というルールを作る。
お湯を沸かしているなら、やかんを視界から外さない。
つまり、記憶力や注意力で頑張るのではなく、忘れても事故になりにくい仕組みに変える。
これは、年齢を重ねるうえで結構大事なことなのではないかと思う。
老化とは「できなくなること」だけではない
年を取るというと、「体力が落ちる」「記憶力が落ちる」「新しいことを覚えられなくなる」
という話になりがちだ。
でも、実際の生活で困るのは、もっと小さなところなのかもしれない。
冷凍食品を戻す。洗濯物を干す。火を止める。鍵をかける。郵便物を確認する。
こうした、なんでもない日常の「順番」。
そこに少しずつ変化が出てくる。だから私は最近、「もっとしっかりしなければ」ではなく、
「しっかりしなくても済むようにすればいい」
と思うようになった。冷凍食品を戻し忘れた自分を責めるより、「戻すまで次のことをしない仕組み」を作る。
それでいい。そして今日もまた、何かをしながら、「あれ?私、今なにをしようとしてたんだっけ?」となる。
そんな自分を見て、「老いたなあ」と笑う。
でも、もしかしたらこれは衰えるというより、
これからの自分の扱い方を覚えている途中なのかもしれない。
冷凍食品を冷凍庫に戻す。ただそれだけのことなのに、人生の後半には、意外と大事な教訓が詰まっている。

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