一泊二日、東京家族旅行記(後編)
→ 前の記事:一泊二日、東京家族旅行記(前編)
柴又といえば「男はつらいよ」ですが、実は私、あの映画を一作も観たことがありません。渥美清さんのビジュアルや、「フーテン」という生き方の設定そのものが、なんとなく苦手で。世間ではあれだけ長く愛されている作品なのに、自分だけその輪に入れていないような、少し不思議な感覚があります。
単純な「昭和のノスタルジー」として楽しめる人がうらやましいな、とも思います。私自身の子供時代は、まさに昭和で、田舎で、正直なところあまり懐かしく振り返りたいものではないので。同じ時代の空気を扱った作品でも、手放しで浸れる人と、そうでない人がいるのかもしれません。
それに、今の感覚で見返すと、あの「フーテンの寅」的な生き方は、けっこうジェンダーバイアスの塊のような気もしてきます。好き勝手に旅をして、好き勝手に恋をして、結局誰も縛らずに去っていく——それを「愛すべきキャラクター」として長年受け入れてきた社会って何だったんだろう、と時々ふと考えてしまいます。いったい誰が、何を愛していたのだろう、と。
監督は、どういうつもりだったのか
気になって、山田洋次監督自身がどういうつもりであの作品を50作近くも撮り続けたのか、少し調べてみました。
意外だったのは、監督いわく、もともとこの映画は若者ではなく、中高年世代に向けて作ったものだったということ。それが蓋を開けてみたら中高生からもファンレターが届くようになり、監督自身も驚いたそうです。監督の分析では、寅というキャラクターには決まった価値観や秩序、道徳観が一切なく、相手が労働者だろうと総理大臣だろうと同じ一人のおじさんとしか見ていない。そうした「何にも縛られない」あり方に、受験や社会通念に息苦しさを感じている若い世代も、大人たちも、解放感を覚えるのではないか、というのが監督自身の説明でした。
なるほど、と思う一方で、これはやはり「体制や既成の価値観へのアンチテーゼ」として寅を置いていた、という私の推測とも重なります。インテリの映画監督には、多かれ少なかれそういう批評的な視線があるものなのかもしれません。
別の評論では、このシリーズは「偉大なマンネリ」と呼ばれていて、風来坊を温かく受け入れる下町の人情や、出来の悪い兄をいつも包み込む妹さくらの母性的な優しさが、観客を安心させ続けた理由だとも語られていました。
つまり、愛されていたのは「寅そのもの」というより、「寅を許し、受け入れ続ける周囲の人々」や、「何にも縛られない自由」という概念だったのかもしれません。寅個人の生き方を肯定していたというより、彼を通して自分たちの息苦しさから一瞬解放される感覚を、観客はずっと味わっていたのではないか。そう考えると、少し腑に落ちる気がしつつ、それでも私はやはり、あの生き方を手放しで肯定する気にはなれないのですが。
寅さん記念館ができた経緯
もともと全く関心のなかった寅さん記念館にも、家族の付き合いで足を運んでみました。行く前は正直、乗り気ではなかったのですが、実際に展示を見て回ると、こうして寅さんについてあれこれ考えを巡らせるきっかけになりました。
調べてみると、この記念館ができたのは1997年。松竹大船撮影所が閉鎖される前に、実際に使われていた「くるまや」のセットをそのまま移設して作られたのだそうです。2012年には、その年に文化勲章を受章した山田洋次監督を顕彰する「山田洋次ミュージアム」も併設されました。撮影の現場そのものを保存しようという、地元と映画界の本気度が伝わってくる話です。
興味がないものでも、たまには流れで足を運んでみるものだな、と思います。そこで得られる気づきというのも、案外悪くないものです。
とはいえ、「じゃあこれから寅さんシリーズを観るのか」と聞かれたら、正直、即答はできません。監督の思いや記念館の成り立ちを知って、見方が変わりかけている部分もあるけれど、長年抱えてきた苦手意識がすぐに消えるわけでもない。その宙ぶらりんな感じも含めて、今回の旅の実りだったのかもしれません。
改めて東京の魅力を思い知る
それにしても、東京には科学博物館から、こうした一本の映画シリーズのための記念館まで、こんなにもいろいろな文化施設がある。地方に住んでいると、それだけでちょっとうらやましくなります。みんなが東京に行きたがる理由も、こういうところにあるんだろうなと、しみじみ思いました。

コメント