初回から見てきたワンパークフェス雑感~まちなかフェスが教えてくれること

ONE PARK FEs2026

今日と明日、福井市の中央公園周辺で「ワンパークフェス」が開催されている。

2019年にスタートし、今回で7回目。

途中、コロナ禍で開催できなかった年もあった。それでも、このフェスは福井の町なかで、試行錯誤を重ねながら続いてきた。

私は幸い自宅から近いこともあって、初回からずっと見に行っている。

だから余計に、今年の会場を歩いていると感慨深い。

最初の頃から考えると、ずいぶん遠くまで来たものだと思う。

でも、ただ「大きなフェスになってよかったね」という話ではない。

初回から見ていると、このフェスが福井に残したものは、音楽イベント一つではないような気がしている。

行政には言い出しにくいことを、民間が言い出す

私がワンパークフェスの初回から見ていて印象に残っているのは、民間が始めたイベントでありながら、最初から行政との関係がきちんとつくられていたことだ。

初回のオープニングでは、市長が挨拶をしていた。

今から考えると、あの光景はなかなか象徴的だったように思う。

ワンパークフェスは行政主催のイベントではない。

あくまで民間から生まれたフェスだ。

でも、だからといって行政とは別の方向を向いていたわけでもない。

福井のような地方都市であれば、行政だって町を盛り上げたいと思っている。

若い世代の県外流出も、人口減少も、もちろん行政にとって大きな課題だ。

ただ、行政という立場では、なかなか最初に言い出しにくいことがある。

「福井の町の真ん中で、大音響の音楽フェスをやりましょう」

たとえば、そんな一言だ。

行政がイベントを企画する場合、公共性や公平性を考えなければならない。

多くの人に説明できること。

誰もが参加しやすいこと。

予算として理解を得られること。

そう考えていけば、イベントはどうしても、地域の物産を紹介する催しになったり、そこに音楽関係のゲストを招いたりする形になりやすい。

もちろん、それが悪いわけではない。

ただ、

「町の真ん中を大音響のフェス会場にしてしまおう」

という発想とは、少し違う。

それを最初に言い出せるのが、民間なのだと思う。

「こんなことをやったら面白いんじゃないか」

「福井の真ん中で、思い切り音楽を鳴らしてみよう」

行政にはなかなか言い出せないことを、民間が言い出す。

そして行政は、それを単なる思いつきとして片づけるのではなく、福井という町でやる意味のあることとして受け止める。

初回のオープニングで市長が挨拶をしていたことにも、私はそんな関係を感じていた。

民間が言い出す。

行政が受け止める。

企業が支える。

市民が集まる。

そうやって初めて、「誰かのやりたいこと」が、少しずつ「町のイベント」になっていくのではないだろうか。

最初から成功していたわけではない

今のワンパークフェスを見ると、最初からこうなることが決まっていたように見える。

でも、もちろんそんなことはない。

イベントを始めるということは、思いついただけでは終わらない。

理解してもらわなければならない。

協力してくれる人を探さなければならない。

資金の問題もある。

公共空間を使う以上、調整しなければならないこともある。

誰かが「面白そう」と思っても、それだけで町全体が動き出すわけではない。

今の華やかな姿を見ていると、つい忘れてしまう。

でも、どんなイベントにも「最初」がある。

そして最初というのは、たいてい、後から見るほど格好いいものではない。

誰かに説明する。

理解してもらう。

調整する。

また説明する。

そうやって、少しずつ形になっていく。

ワンパークフェスも、そんな時間を積み重ねてきたのだと思う。

うまくいかなかったことも、ちゃんとある

この7回の間にも、いろいろな試みがあった。

中央公園だけではなく、一乗谷朝倉氏遺跡を舞台にした関連イベントもあった。

すべてがそのまま定番になったわけではない。

でも、私はそれがいいと思う。

何もかも成功したことだけが語られるイベントよりも、やってみたけれど続かなかったこと、思ったようにはいかなかったことも含めて、次へ進んでいくイベントの方が信用できる。

イベントというのは、一度完成したものを毎年同じように繰り返すだけでは、たぶん続かない。

やってみる。

少し変える。

うまくいかなければ、また考える。

そしてまた、別のことをやってみる。

その繰り返しの中で、少しずつ「そのイベントらしい形」ができていく。

ワンパークフェスを初回から見ていると、その過程そのものが、このフェスの面白さなのかもしれないと思う。

若者仕様、でも中高年も置き去りにしない

サウナ。

お堀での水遊び。

子供のコーナー。

高校生向けの「出世割」。

ラインナップを見ていると、このフェスが若い世代をかなり意識してつくられていることがわかる。

人口減少や若者の県外流出が話題になる地方都市で、「若い人たちが町なかで楽しめる場」を本気でつくろうとしている。

これは、なかなか簡単なことではない。

地方では、ともすると「若者向け」と言いながら、結局は大人が考えた無難なイベントになってしまうことがある。

その点、ワンパークフェスは少し違う。

若い世代が「自分たちのイベントだ」と思えるような仕掛けを、本気で考えているように見える。

でも、その一方で、若者だけのフェスにもしていない。

シルバー席のような配慮もある。

実際に町を日々支えているのは、中高年層でもある。

その人たちを「対象外」にしてしまわない。

基本の設計は若い世代に向いている。

でも、年齢を理由に誰かを置いていかない。

そのあたりに、このフェスの懐の深さを感じる。

官公庁までもがフェスの空間になる不思議

そして、私がワンパークフェスで毎回面白いと思うのは、今やフェスの範囲が中央公園だけに収まっていないことだ。

「お堀に県庁」と悪名高い(?)あの県庁舎の地下までが、フェスの空間になる。

普段なら、県庁に用事のない人は、わざわざ建物の中に入ることもないだろう。

市役所も同じだ。

何かの手続きをするために行く場所。

用事が終われば帰る場所。

そんな場所が、フェスの日だけは少し違った顔を見せる。

人が座っている。

休んでいる。

ござの上でくつろいでいる。

トイレを借りるためだけではなく、そこに「いていい」。

この変化が、私は面白い。

普段はどこか近寄りがたい雰囲気すら漂う官公庁の一等地が、その日だけは町の人たちのための場所になる。

県庁や市役所を、「特別な場所」から「町の一部」に引き戻してしまう。

ワンパークフェスには、そんな力があるように思う。

そして考えてみれば、これは初回の風景ともつながっている。

最初は、市長がオープニングに立っていた。

民間が始めたイベントを、行政もまた福井の町の中で受け止めた。

そして7回目を迎えた今、県庁や市役所そのものがフェスの空間の一部になっている。

これは、なかなか面白い変化ではないだろうか。

続けるということは、同じことを続けることではない

開催時期も、毎年同じだったわけではない。

秋に開催された年もあった。

でも最近は、秋になっても暑い。

年々、暑さ対策や日陰の必要性が増しているように感じる。

逆に、雨に見舞われた年もあった。

そして、寒い時期に開催されたこともある。

2021年は、コロナ禍による延期を経て、最終的に11月の開催となった。

福井の11月といえば、もうすっかり冷え込む季節だ。

あの時、会場スタッフが着ていたダウンパンツが、やけにおしゃれに見えたのを覚えている。

今でこそダウンパンツは珍しくない。

でも当時は、「こんなものを履いてまで外でフェスをやるのか」と思ったくらい、本格的な防寒が必要な寒さだった。

暑い年もある。

雨の年もある。

感染症で開催できない年もある。

予定を変えなければならないこともある。

フェスは、毎年同じ条件ではできない。

それでも、そのたびにやり方を変えながら続けてきた。

考えてみれば、

「続ける」ということは、同じことを続けることではないのかもしれない。

変わり続けることができたから、続いている。

そんな気がする。

経済効果では測れないもの

経済効果がどれほどあるのか、私にはわからない。

宿泊や飲食、交通など、数字にできる効果ももちろんあるのだろう。

でも、こういう町なかのフェスには、それだけでは測れないものがあるように思う。

普段なら県庁に入る用事のない人が、建物の中に入る。

市役所で休む。

中央公園で、一日を過ごす。

お堀のそばで遊ぶ。

「福井の真ん中って、こんなふうに使っていい場所だったんだ」

そんな感覚が、少しずつ町に残っていく。

これは数字にはしにくい。

でも、町にとっては案外大きなことなのではないだろうか。

公共空間は、ただ「そこにある」だけでは、人の居場所にはならない。

誰かが使い方を考え、実際に使ってみて、初めて新しい風景が生まれる。

ワンパークフェスが変えてきたのは、中央公園そのものではない。

県庁でも、市役所でもない。

「福井の町なかは、こんなふうにも使える」

という、人々の感覚なのかもしれない。

7回続いたということ

一つのイベントが、最初から完成された形で始まるわけではない。

行政には言い出しにくいことを、民間が言い出す。

「こんなことをやったら面白い」と、誰かが最初の一声を上げる。

それを行政が受け止める。

企業が支える。

市民が集まる。

試してみる。

うまくいかないこともある。

また変える。

そして続ける。

そうやって初めて、「誰かのやりたいこと」が、少しずつ「町のイベント」になっていく。

7回目を迎えた今、中央公園には多くの人が集まっている。

県庁の地下にも人がいる。

市役所も、いつもの市役所とは少し違う顔をしている。

最初にはなかった風景だ。

ワンパークフェスが福井につくったのは、大きな音楽イベントを一つ増やしたことだけではないのかもしれない。

「町は、こんなふうにも使える」

そんな新しい風景を、福井の真ん中につくったこと。

町は、最初から立派な計画によって変わるとは限らない。

行政だけでも変えられない。

民間だけでも続かない。

誰かが言い出し、それを誰かが受け止め、また別の誰かが支える。

その積み重ねの先に、いつの間にか、それまでなかった町の風景が生まれている。

今日も賑わう中央公園を眺めながら、そんなことを考えた。

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