前回、私は「薬に頼らない」と書きました
前回の記事では、食欲抑制剤(マジンドール)を服用してわずか3日目で服用を見合わせたこと、そして薬を飲まなくても暴飲暴食せずに一日を過ごせた、という経験を書きました。
「私は、強い薬の力に頼り切らなくても、自分の気持ちと体調を自分で整えられる」
そう締めくくった記事でした。あの時の実感は、嘘ではありません。確かにあの3日間、私は薬なしでも自分をコントロールできていました。
でも、正直に続きを書きます。
あの後、私はまた過食に戻りました。
薬をやめた本当の理由、実は言えなかったこと
前回の記事では書かなかったのですが、実はマジンドールをやめた自分なりの理由がありました。
- マジンドールが向精神薬であるということ
- できれば薬に依存したくないという気持ち
- 服用すると「胸やけ」がして、それが自分にとってはかなり辛かったこと
ネット上では「覚醒剤と類似の依存性がある」といった注意喚起がたくさん出てきます。実際に医師からも、はっきりその言葉こそ使われませんでしたが、「3か月という服用制限があるのはマジンドールだけ」と、マンジャロやゼニカルなど他の薬と並べて示されました。制度上の扱いの違いという形で、この薬が特別だということを伝えられたのだと、今は理解しています。
ダイエットという目的だけを見れば、服用を続けることは医療者として「正解」なのだと思います。そこは否定しません。ただ、向精神薬への抵抗感も、依存したくないという気持ちも、体感としての胸やけの辛さも、私にしかわからない情報でした。それを、今回のカウンセリングまで、私は医師に伝えていませんでした。
カウンセリングで言われたこと
服用を2日でやめてから、しばらく間があいて、久しぶりにカウンセリングに行きました。ほうれい線が気になること、脂肪融解の薬が欲しいことも合わせて伝えました。
医師の答えはシンプルでした。
マジンドールで一週間食欲が抑えられたのなら、実は効果が出ているということ。
3か月という服用制限がある以上、きちんと飲み続けて、胃を小さくして過食をやめ、自分をコントロールできることが先。
正論でした。「いちいちもっとも」としか言いようがありませんでした。
伝えたその夜、早速過食した話
そして、カウンセリングを受けた当日の夜、私は早速過食をしました。
情けない話ですが、これが現実です。翌日、マジンドールを飲み直しました。医師からは「一日二錠飲んでもいい」「夜過食するなら15時にも飲んだら?」「睡眠障害が怖いなら、症状が出てから考えたら?」と言われました。
一度うまくいったからといって、それがずっと続くとは限らない。むしろ、一度「自分をコントロールしかけた」という成功体験があったからこそ、それが崩れた時の反動が大きかったのかもしれない、と今は思っています。
「お腹が空いていないのに食べる」という厄介さ
今回、自分の過食について改めて向き合って気づいたことがあります。私の場合、厄介なのは「お腹が空いているから食べる」のではないということです。
お腹が空いていないのに、口に放り込む。お菓子の袋を空にする。そして次々と新しい買い置きのお菓子を買ってくる。夕食は家族と普通に食べているのに、その後、自室にこもって習慣的に、しかも計画的に食べ続けてしまう。
この感覚を、自分ではアルコール依存に似ているとさえ思っています。単純な空腹感とは別のところで起きていることだから、食欲抑制剤だけでは的を外しているような気がして、脂肪融解の薬まで欲しくなったのだと思います。
自己フォアグラ製造、という自分なりの言語化
我ながら言葉は悪いし、おかしいと思うのですが、この状態を「自己フォアグラ製造状態」と呼んでいます。空腹感もないのに、意志とは関係なく詰め込んでいくあの感覚を、これ以上的確に言い表せる言葉が見つかりません。
ネットで調べれば、情動的摂食(エモーショナルイーティング)、過食性障害、衝動制御の問題、依存モデルなど、いくつかの切り口が出てきます。ただ、これはあくまで一般的な情報であって、自分がそのどれに当てはまるのか、病名がつくようなものなのかは、本来は専門家が経過を診て判断することです。私自身、診断を下せる立場にはありません。
大事なのは、名前をつけることよりも、「これは単なるダイエットの話とは違う質のものだ」と自分で気づけたことだったと思います。
具体的な言葉で伝えたら、処方が変わった
次のカウンセリングで、私はこの「夕食後、自室で、習慣的に、計画的に」という具体的な言葉で、医師に伝えました。
その結果、本来は糖尿病患者に処方される薬が出ることになりました。10日分ほど、まずは試してみることになっています。
振り返ると、「ダイエットの相談」という枠組みだけで話していた時と、具体的な行動パターンを言葉にして伝えた時とでは、返ってくる提案がまったく違いました。伝え方ひとつで、医療の対応も変わるのだと実感しています。
体重より「心のコントロール」を優先することにした
今の私にとって、体重の減少よりも、心のコントロールの方が大きな課題です。
日中の食事には問題がなく、夕食も家族と普通に食べられている。問題は、その後の、一人になってからの時間に繰り返される行動パターンにある。だとすれば、見るべきは体重という「結果」ではなく、あの習慣的な行動そのものという「プロセス」なのだと思っています。
処方された薬自体は食欲を抑えるという体重側からのアプローチなので、これだけで心のコントロールという課題がすべて解決するわけではないかもしれません。それでも、今日からまた継続的に飲んでみることにしました。
今、試している小さな儀式
「お腹が空いていないのに、何か口に入れたい」という衝動が来た時、白湯やお茶に置き換えるという方法も考えました。でも、それだけだと新しい「儀式」が増えるだけで、衝動そのものは残ってしまう気がします。
今考えているのは、こんなことです。
- 服用による喉の詰まりや胸やけを、見て見ぬふりをせず、ちゃんと感じてみる
- 「胃をいたわる」「肝臓をいたわる」というふうに、自分を罰するのではなく、いたわる方向に意識を向ける
効果があるかどうかは、正直まだわかりません。ただ、こうした対処法の候補を自分なりに考え始めていること自体が、今の私にとっては一歩なのだと思っています。
前回の自分へ
前回の記事は、「薬に頼らなくても自分をコントロールできた」という、きれいな成功物語で終わっていました。あの時の3日間から一週間の実感は本物でしたし、今もあの記事を否定するつもりはありません。
ただ、今回はその続きとして、うまくいかなかった現実もきちんと書きたいと思いました。ネット上には「依存性がある」という注意喚起の情報がたくさん出回っています。それは医学的に正しい情報だと思います。だからこそ、実際にこの薬を処方され、迷いながら向き合った中高年女性の一人として、自分の体験をそのまま記録しておく意味があると思っています。
一度うまくいかなかったからといって、これまでの気づきや記録が無駄になるわけではない。そう自分に言い聞かせながら、また経過を書いていこうと思います。

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