『ラストノート』最終回、勝手に予想して遊びます

『ラストノート』最終回

いよいよフジテレビ木曜10時ドラマ『ラストノート』も来週が最終回。

第10話の最後では、澄晴と葵が「運命の絵」の前で再会しました。

ここまで来たら、もう二人の間に立ちはだかっていたものは、ほとんどなくなったように見えます。

周囲から反対されていた時期もあった。二人の関係を素直に認めてもらえない状況もあった。

ところが、第10話まで来ると、むしろ周りは二人を応援する側に回っている。

「よかったね。これで二人は一緒になれるね」

……と思ったところで、澄晴が言う。

「俺たち、一緒にいない方がいい」

え?

「別れよう」ではないんですよね。

ここ、私はものすごく気になっています。

そして、実は第5話くらいの時点で、私は「澄晴は海外に行くんじゃないか」と予想していました。

その頃は、現状の八方ふさがりを突破するような意味での予想だったと思います(笑)。

でも、今になってみると、海外に行くこと自体は、あながち外れていなかったのかもしれない。

問題は、

なぜ今、澄晴は海外へ行くのか?

です。

最初の頃なら、「二人の恋愛成就をあきらめるため」として海外が使われても不思議ではありません。

でも、今は違う。

周囲の反対という「外側」の問題が、かなり解消されている。むしろ応援団がたくさんでてきた。

だとしたら、最後に残っているのは、澄晴自身の問題なんじゃないか。

私は、そう考え始めています。

澄晴は「俺は自分のことばっかりだ……」と言う

そもそも澄晴は、ずっと「自分のことばっかり」と言っています。

これ、最初は「自分勝手」という意味にも聞こえました。

でも、最近の澄晴を見ていると、少し違うんじゃないかと思えてきた。

むしろずっと晴はようやく、

「自分はどうしたいのか」

を考えていたんです。そしてそのこたえがで始めているのではないでしょうか。

葵が好き。葵と一緒にいたい。

それはもちろんある。

でも、それだけではない。

絵を描きたい。

その気持ちにもう一度きちんと向き合いたい。

絵を再開してから思うように描けなかった。あんなに描きたかった絵が、です。もがき苦しんだ時期を経て、いったんは「満足できる」とおもえる絵が描けた。

ところが、そこでまた立ち止まってしまう。少年の何気ない、「絵を描く理由は自分の中にある」という言葉で根底から何かが崩れてしまうような感覚になってしまう。

「自分は、何のために絵を描くのか」

その動機のところで、つまずいてしまった。

でも、これってものすごく大きなことですよね。

絵が描ければいい、という話ではない。

「自分は何をしたいのか」という、もっと根っこのところに澄晴が向き合い始めている。

だからこそ、「自分のことばっかり」という言葉の意味も、少し違って見えてきたのです。

「葵か、絵か」ではない

一見すると、

「葵を取るのか、絵を取るのか」

という二択に見える。

でも、私はむしろ、その二択自体が違うのではないかと思っています。

葵か、絵か。

そんなふうに、どちらか一つを諦めなければならないのだろうか。

澄晴が本当に取り戻そうとしているのは、

「どちらも欲しい」と思える自分自身

なのではないでしょうか。

葵も欲しい。

絵も描きたい。

自分の人生も生きたい。

全部欲しい。

……それでいいんじゃないか。

「全部取り返すから」の「全部」って何だろう

そこで思い出すのが、第9話、病室で澄晴が父親に言った、

「俺、全部取り返すから」

という言葉です。

最初は、葵を取り戻す、という意味だと思っていました。

もちろん、それもあるでしょう。

でも、「全部」って、もっと大きな意味なんじゃないか。

絵だけではなく、

自分が描くこと。

自分が何をしたいのかという気持ち。

自分自身の人生。

そういうものまで含めて、

「全部取り返す」

なのではないか。

そして、もしかしたらそこには、

「自分の可能性を、自分で狭めない」

ということも含まれているのではないでしょうか。

「可能性を狭めない」ということ

ここで、私は物語の終盤、8話あたりの頃を思い出します。

澄晴の好きな人が「葵」であることに怒り狂ったりなが、葵の会社まで押しかけて投げかけた言葉。

「澄晴の可能性をあなたは狭めている」

あの言葉です。

もちろん、りなにはりなの事情があったのでしょう。

でも、物語全体を振り返ってみると、

「あなたはこうするべき」

「これは無理」

「こっちを選んだら、あっちは諦めなければならない」

そんなふうに、人はいつの間にか自分の可能性を狭めてしまう。

このドラマは、そんなことも描いてきたように思います。

だからこそ、最後に澄晴が選ぶのが、

「葵か、絵か」

ではなく、

「葵も、絵も、自分の人生も」

だったら、すごく『ラストノート』らしい気がするんです。

恋愛を選んだから、夢を諦める。

夢を選んだから、恋愛を諦める。

そんな二者択一ではない。

どれかを諦める前提にしなくていい。

「全部欲しい」と思っていい。

可能性を狭めなくていい。

そのために、いったん離れる。

私は、そんな展開もあり得るんじゃないかと思っています。

「一緒にいない方がいい」は、別れなのか

だから、第10話最後の、

「俺たち、一緒にいない方がいい」

も、私は「別れよう」という意味には聞こえないんです。

むしろ、

「今の俺たちのまま一緒にいると、俺は自分自身を取り戻せない」

ということなのではないか。

葵が嫌いだから離れるわけではない。

葵を諦めるわけでもない。

むしろ、二人の将来を考えるからこそ、一度離れる。

私は、そんなふうにも受け取っています。

そして、ここでもう一つ気になったのが、澄晴を演じる寺西拓人さんの表情です。

「俺たち、一緒にいない方がいい」と言う言葉は、とても残酷です。

普通なら、もっと思い詰めた表情になってもおかしくない。

ところが、私には、そこまで思い詰めているようには見えませんでした。

むしろ、感情を抑えているような、少し無表情にも見える。

これ、9話で葵が、うその理由を並べながら「私たち、別れよう」と言ったときの表情を思い出したんですよね。

あのときの葵も、感情を爆発させるのではなく、何かを決めて、それを自分の中に押し込めているように見えました。

もちろん、これは私の勝手な見方です。

でも、もし澄晴も同じように、「本当は離れたいわけではない。でも、今はそうするしかない」と自分に言い聞かせているのだとしたら?

「一緒にいない方がいい」は、

別れの宣言ではなく、二人の将来のための決断

なのかもしれません。

だから、海外へ行く

そして、最終話の予告編ではパスポートが映っていました。

どう考えても、誰かが渡航する。

そして、それは澄晴でしょう。

もしそうだとしたら、澄晴の海外行きは、

「葵と別れるため」

ではなく、

「葵と本当に一緒になるために、一度、自分自身を取り戻しに行く」

ということなのではないでしょうか。

海外へ行く。

絵を描く。

自分自身を取り戻す。

自分の足で立つ。

そして、いつか帰ってくる。

私は、そんな澄晴を見てみたい。

最初よりも大きな男になって。

葵にふさわしい男になって。

本当に葵を支えられる男になって。

そして、帰ってくる。

……なんていう最終回だったら、私はかなり好きです(笑)。

そして、そのとき葵が言うのは、

「行かないで」

ではなく、

「行ってらっしゃい」

なのかもしれない。

「自分のことばっかり」の意味が、最後に変わる?

そう考えると、澄晴が繰り返してきた「自分のことばっかり」という言葉も、最後には意味が反転するのではないでしょうか。

「自分のことばっかり考えている」のではなく、

今まで置き去りにしていた「自分」を、ようやく考えられるようになった。

そういうことだったのではないか。

自分が何をしたいのか。

何を描きたいのか。

どう生きたいのか。

誰と一緒にいたいのか。

それを全部考えていい。

むしろ、全部考えなければいけない。

そして、それを考えた先に、

「葵と一緒に生きたい」

という答えがあるのなら、それは「自分勝手」ではないと思うんです。

だから私は、最近の澄晴の「自分のことばっかり」を、以前とは少し違う意味で聞いています。

それは自己中心ではなく、

「自分の人生を取り戻す」ための始まりなのではないか。

そして、旅費どうするんだ問題(笑)

……とはいえ。

ここで非常に現実的な問題があります。

澄晴。

海外に行くお金、どうするんでしょう(笑)。

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